無意識のうちに水を放棄した話
お昼に丸亀製麺でうどんを食べていた時の話なんですが、皆さんはこういったセルフの店でのマナーは大丈夫ですか?
丸亀製麺では、店に入ったらお盆をもって列に並び、メインのうどんを注文したら、陳列されている天ぷらやおにぎりをとってレジに行くスタイルのお店、ほんとよくあるスタイルです。セルフの店の標準スタイルといっても過言じゃないです。
もちろん席を決まってないので、会計を済ましたら席を確保して食べたら自分で食器を片付けるところまで全てセルフです。席がないとしばらく立ち尽くすことになることをあります。
特に出口と入口が一緒の動線が絶望的な店だと泣きを見ることになるので、混雑する時間には行かない方が身のためですが、多分泣いてたら誰かが助けてくれるので最悪咽び泣くことをお勧めします。
とまぁ泣くこともなく注文から席確保までいけることが殆どで、今日ももれなく席確保まで漕ぎ着けて、さてさて釜揚げうどんを食べようかなと箸を用意して、天ぷらには今日は塩でいっちゃおう!なんて具合で食べ始めたんですよ。
ここまでは良かったんですが、天ぷらを塩で食べたせいでちょっと喉が乾いたんですよね。なので、まぁごく自然と水を飲もうとコップに手を伸ばそうしたんですがとんでもないことが起きたわけですよ。
それがこれです。
これわかりにくいんですけど、右にコップがあるのはわかりますよね?左も見てもらってもいいですか?
あるんですわ。コップがもう1つ。
これは一大事ですよね。トレイ内にコップがあれば問題ないんですが、何をしたのか両方外にあるんです。これどっちかは前の人が片付けてなくて僕はそれに気づかず座ってしまったわけです。
着いてすぐにお盆の上から水をリングアウトさせたことまではわかるんですが、どっちに置いたかが全然思い出せない。レシートがある位置に水があったことはなんとなく状況証拠からわかるが、どっちに置いたかわからない。
「でも右にあるのが自分のなんじゃないの?」と思うかもしれないですが、僕左利きなんですよね。無意識的に左手で水を飲んでそのまま奥に置いた可能性があるわけですよ。
しかもこれ角席なので、隣に人が来た時に水を間違えないように左側に置くことを全然あり得るわけですよ。
となると、じゃ左が自分の水?と思うんですが入ってる量がまだ絶妙なんですよね。真ん中よりちょっと少ないくらい。元々僕自身が水を汲んだ時にどれだけ入れたかを覚えていたら済む話なんですが全く記憶がない。
そういえばついてすぐに一口飲んだ気もするし、そうじゃない気もする。記憶がそのままそっくり抜け落ちているわけです。
つまりこれ今どちらの水も自分のではない可能性があるわけで、所有権を失っている状態なんです。これが、サハラ砂漠の真ん中でこのコップに出会ってたら何の迷いもなく飲み干すんですけど、違う違う、そうじゃない。ここは大阪梅田の地下であって、別に枯渇してるわけでもない。
ただ、天ぷらを塩で食べたせいで喉は乾いてるわけで水は欲しい。かといって今新しく水を汲みに行くわけにもいかない。なぜなら、すでにこの2つの水の所有権は僕にあるからです。
先程、所有権を失ったと言いましたがあくまでもそれは今この場で水を飲むことに対してであってこれを片付ける時に僕は両方を片付けないといけないわけです。
わかりますか?本来得ることができた水分という権利を無意識的に放棄して、飲むことができない水を片付ける権利だけが残ってるわけですね。
水は確かにそこにあるんですがこれは飲むことができない水であってあるのにない、ないのにあるという状態なわけです。
みうらじゅん先生の言葉を引用すると、これは仏教で言うところの空(くう)です。空とは、悟りの状態であり、完全に無であること、つまりなにもない状態を指すんですが、無であるということが矛盾しており、今私は無だと言う認識をもつとそれは無であることを認識している状態なので、無じゃないんですよね。
つまり今この水は誰のものでもあって誰のものでもなく、飲むこともできるが飲むことはできない、そういう存在なんです。
こうなってしまうともう頭がおかしくなりそうになるのでさっさと退散しようと言うことうどんをじゅるるるるるるる〜〜〜〜!!!!とすすり上げて、天ぷらをガブリガブリと咀嚼して喉が詰まったので水で流し込もうと手を伸ばすと水が2つあってムカつくから2つとも一気に飲み干して「めっちゃ美味かったっす〜〜〜!また来ますわ〜!!」と店内で絶叫してから走ってインドまで行きました。
ちなみにさっきは空とか言いましたけど冷静に考えれば空でもなんでもなかったです。
कृपया अपनी स्वयं की दुकान पर शिष्टाचार का पालन करें।
fin