にっきもどき。

ちんぽから社会問題まで広く扱いますが日記らしい日記はひとつもないらしいです。現場からは以上です。

それはあまりにもでかいおっぱいだった

ガスタンクがおっぱいに見えた。

 

市内から急行で30分弱の場所に、僕の育った街はある。どこにでもあるベッドタウンで、昔はバブルで景気も良く遊園地なんか作ったりしてたが今では見る影もない。たいした観光地もないので必然的に宿泊施設もないし、娯楽はカラオケとレンタルビデオショップくらいでパチンコなどのギャンブル施設は一切ない。

 

イオンはあるがモールじゃないし、ガストやスシロー、ワンカルビ、ガストといった大手チェーン店が和洋中各種取り揃えられてるあたりいかにもといった感じだ。あ、ガストはこの前潰れたんだった。この小さな街には幼稚園から大学などの教育機関に加え、それなりの規模の病院、葬儀場、なんなら企業の工場までが点在している。墓場からゆりかごまで完結できるそういう街だ。

 

遊びのないこの街は教育にも力を入れていて、とにかく平等だったり秩序や調和を重んじる、そんな教育を施されている。なので性=悪、エロは排除、興味のあるやつはヤンキーであるような一体感があった。実際、一番エロに多感な時期である中2くらいの時下ネタをクラスで言うやつはだいたいヤンキーだった。

 

特に自慰行為に対しては異常で、オナニーしたことあるなんて言った日には、エロ野郎というレッテルを貼られてめちゃくちゃいじられるか、場合によっては断罪、村八分も免れない。精通は悪だった。そんな異常な空間、いや徹底されたモラル社会だった。

 

一度小学校からの友達と集まって隠れたAVを見たときは、その場に居合わせた全員が同罪のはずなのになぜか「あいつは顔見してた」とか「鼻息が荒かった」とかそういう小さなことでエロランクを付けられたのを覚えている。うるせぇ!全員勃起してんだろうが!とはとても言える雰囲気ではなかった。

 

まぁでもそういう世界なのだ。こればっかりは仕方ない。

エロを前にした瞬間、彼らはしらを切る。

 

ひどいときは「おっぱい?」だ。

 

は?虎にでも育てられたのか?最初からうさぎの肉でも食べて育ったんか?

 

ということで、当時の我々の世界としては青春とはとても清らかで甘酸っぱいもので、「君の冷えた左手を僕の右ポケットにお招きする」とか、「この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せてゆっくり下る」とか、なんなら「テトラポット登っててっぺん先に睨んで宇宙に靴飛ばす」ような恋がしたいなぁ~とか割とそういう恋愛の一番いいところの幻想ばかりを口にして、ほんとはフェラチオされたいなんてことは口が裂けても言えなかった。この街ではエロは諸悪の根源だった。

 

話は戻るがうちの街にはそういった教育に悪そうな娯楽は一切ない。ただ、街の中心部には国道と国道が交差する場所があり、その一方はとても長い坂になっている。その坂の向こうにはまた別のベッドタウンがあり、その坂の上にはラブホテルがある。

 

そう、その坂を登りきった先は別の市で、こういった境目にはラブホテルだったりパチンコ店があることが多く、多くの大学生や大人たちは娯楽を求めてこの坂を登っていく。その坂の途中にはやたらにバカでかいガスタンクがある。それはまんまるとした球体が2つ並んでおり、それなりに存在感はあるはずなのに人々はそれについて話すことはなく、街に自然と馴染んでいる。

 

性に対する抑圧がすごかったせいで僕はそのガスタンクをずっと「おっぱい」だと思ってた。いや、別に本当におっぱいだなんて思ってはいない。でも、バカほどでかい巨乳に見えた。小池栄子とかMEGUMIとかもうそういう次元じゃなかった。もうとにかくデカかった。色も肌色で生々しかった。とにかくエロかった。

 

皮肉なものだ。これほど、エロ・ギャンブルを排除しているのにも関わらず、バカでかい性のシンボルが一番目立つ場所に設置されている。シンボルを横目に坂を登りきるとラブホテルが設置されているのはまるで試されているようなそういう構図だ。太陽の塔でもなく、おっぱいガスタンクが街のシンボル。芸術は爆発だが、こっちはまじの爆発物だった。

 

夕暮れ冬の季節。冷たい風に覆われながら自転車に乗り家路を急ぐ。信号が青から黄色、そしてすぐに赤に変わり僕の行く手を阻んだ。その僅かな待ち時間に、僕はちょうど正面にある「おっぱい」を見ていた。沈む夕日に照らされた「おっぱい」はその白い肌を赤く染め、凛とした姿は艶めかしく上品でキレイだった。

 

視線を信号に映し、まだ赤であることを確認し、「おっぱい」に視線を戻す。ふと、電柱に目がいった。真っすぐ伸びたコンクリートポールには、夕日の赤が映え普段の無機質で冷たい印象はなく、むしろノスタルジックな情景を描くのに一役買っていた。

 

抑圧は無意識の領域に事を押し込むようなもので、なくなったわけではなくまた別の意識で蓋をしてる状態を指す。抑圧された精神は時折重大なエラーを起こす時がある。暖かみの赤で照らされた電柱がその日はなぜか男性のシンボルに見えた。ん?ちんぽのことだ。言わせないでほしい。

 

2つを重ねてみた時、なんだかなんだかとってもいやらしい気持ちになった。

世の中にはなんでもそういうプレイがあるらしい。ん?パイズリのことだ。言わせないでほしい。

 

 

我ながらバカバカしいなと思った。エロさよりバカバカしさが勝った。そしてこのくだらなさを誰かに伝えたいなと思った。こんなバカバカしいことだったら許されるんじゃないか?とすら思った。いくらか厳しいこの世界でも、断罪されることはないんじゃないか?罪とはいったいなんなんだ。

 

しかしきっとこの罪は許されないだろう。エロが抑圧された世界では、性に興味を持つことは人を殺すよりも重い。ましてはパイズリなどもってのほか、口に出した瞬間、ギロチンだ。なによりまずガスタンクをおっぱいに見立てるところから説明しなければ、彼らには通じないだろう。なんせ「おっぱい?」だからだ。

 

 

僕は思った。いつか世界は変わるその日までまとう。このくだらない世界から解き放たれて、本当の自由を手に入れて、発言や思考によって断罪されない日が来るのを信じて。そうしてその日からガスタンクは街の風景に溶け込んでいった。

 

 

信号は青に変わり、ペダルを漕ぎ始める。日は落ちて更に冷え込み始めた。吐く息は白く冷たく、ハンドルを握る手は夕風にさらされ感覚をなくしていく。

国道を走る車に何台も追い越されながらも僕は進んでいく。いつかあの坂を自転車の後ろに最愛の人乗せてゆっくり下る日を夢見て。

 

fin