にっきもどき。

ちんぽから社会問題まで広く扱いますが日記らしい日記はひとつもないらしいです。現場からは以上です。

革命軍のリーダー

30歳を過ぎてから明らかに小便をする回数が増えた。

 

朝起きてまずションベン。朝飯を食べてションベン。通勤の最寄りの駅でもションベン。会社についてもとりあえずションベン。仕事中もションベン。暇さえあればションベン。仕事が終わって帰る前にションベン。家についてションベン。風呂前にションベン。飯食ってションベン。寝る前にもションベン。寝付きが悪くてとりあえずリセットするためにションベン。夜中に起きてションベン。

 

やばい、これだけで13ションベン。小便。

 

タバコを吸わない代わりに気分転換にションベンしたりするときもある。

 

小休憩ならぬ、小便休憩。ちゃんと小さく休んでる。

 

じゃあ休みの日はどうなんですか?と好奇心旺盛な皆様の質問に答えるならば、それはもうションベンです。とんでもないションベンです。


「Is this shouben?」

 

「That's right」

 

てなもんです。お手軽なもんすよ。ションベンなんかは。

なんせ身体から出てるわけですからね。天然のデトックスですわ。

 

ただ、回数が増えたと言ってもじゃあ別に10代、20代の頃はしてなかったんですか?と言われたらそりゃ「してましたよ!」としか答えざるおえないですよね。

 

ということは今になって突然回数が増えたのではなく、地層のようにいくつも小便の歴史が積み重なって今があることじゃないんですか?と闊達自在で聡明な皆様であればすでにその知能のリソースをはたいて更に次の質問を用意していたでしょう。

 

そういうことに対してもちろん黙秘するわけではなく、恥ずかしながらも小便の歴史をここに語ることで皆様の知的欲求に答えていこう。ただ、どうしてもこれを語る中でうんこについても一部触れなければならないことを事前にお伝えしたい。

 

それでも構わないぜ!という気のいいやつはそのまま読み勧めてほしい。そうじゃない方は昨日書いた花のコラムでも読んでくれ。

 

harugikuko.hatenablog.jp

*****

 

まずこの世に生まれる。とりあえず何かよくわからないが本能のゆくがままに朝昼晩関係なしに泣き叫び、時にはミルクや離乳食を与えてもらい、TPOも関係なしに糞尿を垂れ流す。生きてきた中で一番自由だった時期だ。ションベンサブスクリプションである。

 

ショベスクを手に入れた僕はどこでもいつでも関係なしだった。睡眠中でも、ベビーカーの上でもOK!!ご飯中や電車で移動中、向かいのホーム、路地裏の窓でもションベンし放題!サイコー♡でちゃううううう、しょんべんでちゃううう、いっぱいっいっぱいでちゃううううう♡♡♡♡♡♡♡である 。

 

そういう時期が終わり、徐々に自我を持ち始める。

 

今まで全てのコミュニケーションを「笑う」「泣く」の二択だけでなんとかやってきたが、さすがに「泣く」のカードが強すぎてこのままでは将来、街なかで突然泣きながらションベンを漏らすおじさんになってしまうことが明らかなので親から指導が入る。

 

そして衝撃的な事実を知る。

 

実はうんこもおしっこも専用の場所で足さなければならない。ことを

そしてトイレ以外で用を足す事恥ずかしい。ことを

リビングや寝室で垂れ流してたのはお前だけなんだって。ことを

親や親戚が俺のおしっこやうんこをみて喜んでくれる時期は終わった。ことを

 

 

 

嘘だろ?じゃあ今までの1年、2年はなんだったんだよ。なんでみんな俺のおしっことかうんこみて喜んでたんだよ。変態か?我が家は変態集団だったのか????

 

革命だ。すべての価値観が一夜にして変わってしまった。革命軍は新しいルールを提示してきた。それは一方的であまりにも残酷だった。なんでも、もう泣いても誰もおむつを変えてくれないらしい。じゃあどうやって糞尿を処理したら良いんだよ!!泣きそうだ。ムカつくから漏らしてやろうか、そんなことまで思ってしまう。

 

そして、なんでも、あの、家の中にある大人たちが不定期に吸い込まれていく謎の小部屋は、実はトイレと呼ばれる場所であることを告げられ、その利用を認められた。革命軍の基地じゃなかったのか

 

そしてその日から徹底的なトイレ指導がある。今まで自由にオムツの中に出していたが、今後それは一切許されず、トイレをしたい時は親に声をかけて一緒にトイレにいって目の前で用を足すことを命じられた。

 

さすがにいきなりのオムツをとりあげられることはなかった。完全にオムツ中毒になっていた俺にとって、オムツなしでは生きられない体になっていた。これもいつかはとりあげられるらしいが慈悲深いと思った。感謝だ。

 

そして厳しい訓練を耐え抜き、むしろオムツが濡れることに不快感を覚えるようになった俺は、ごく自然に今までもそうしていたかのようにションベンやうんこができるようになり、もう革命軍のリーダーの手を借りることはなかった。

 

 

「やりたいときにやる」そんなヤリチンみたいな生活とはおさらばだ!

 

糞尿の自由を失った俺は、むしろ前より自由だった。今まではオムツを他人に変えて貰う必要があったが、今はそんな必要がない。むしろあの時間は本当に無駄だったと思った。なので、そういう自由だ。

 

我慢を覚えた俺は、オムツからブリーフに履き替えて一人前の仲間入りを果たした。

 

寝ションベンはたまにしてしまったが、小学校に上がる頃にはそれもなくなっていた。ただ、小学校2年生くらいまでたまに朝起きたらパンツの中にうんこが転がってることがあった。あれは今でも不思議だなぁ。なんだったんだろう。

 

小学校では、授業中にトイレに行くことや、おしっことかうんことかそういうことをみんなの前で言ってはいけないことを指導される。なんでも立派なおとなになれないらしい。それでもうんこもおしっこもちんちんもとんでもなくおもしろワードなので、先生に隠れてそういうことで爆笑していた。

 

ただ、諸刃の剣な一面もあって、うんこは面白いけどそれはあくまでも第三者としてのうんこであり、自分自身の身体から出るあの黒い物体は一ミリも笑えない。そして、学校でうんこをすることは恥であり、見つかってしまうととんでもなくいじられる。

 

うんこマン呼ばわりされる。もう最悪だ。殺してくれ。そうなる。そうならないためにも「わたしはうんこなんてしません。」状態になり、全員が清純派アイドルとして生きていくことになる。

 

これが産まれてから中学に入る前までのおしっこ第一期のはなしである。

 

ついつい話が長くなってしまったがこれから話す第二期がトイレの回数が増えていく理由のなかでいちばん重要な時期だ。これは中学~大学まで続く。

 

第一期では、糞尿の自由から始まり、そして規制から自我・超自我エスが生まれた。そして、そのまま思春期へと突入する。

 

中学に入るとさすがにうんことかおしっことかで笑えなくなってくる。いや、まだまだ笑えるんだけどそういうことを口に出すこと自体が恥ずかしくなる。そう、思春期に突入したのだ。

 

思春期へと突入した場合、多くの人が「大人」という存在へ憧れを抱き、それは「他のやつを出し抜きたい」という欲求へと変わる。

 

人によっては例えばわけも分からず哲学書や神話といった小難しいものに手を出す者いれば、ブラックコーヒーに手を出すやつ、突然無口なクールキャラに路線変更するやつなど様々だ。小学生を見つけては、「ふっ、あんな時期俺もあったな~」なんてもんだ。

 

そしてその中でも一番顕著に現れるのが、休憩のとり方である。

今まで授業と授業の間にあった10分、20分の休憩は運動場に出ておにごっこやボール遊びに熱中してたはずの彼らは突然それをやめる。誰が言い出したわけでもないがわざわざ外に出て遊ぶやつはほぼいない。

 

 

そう休むことは大人なのである。大人は疲れてる。大人はいつもなにかに追われていて忙しい。だから休むことでその「忙しい」と「疲れている」を表現するのだ。

 

とはいえ、今まで休み時間に休むなんてことをしたことのない人は、どうしていいかわからない。いきなり有給を取る羽目になったサラリーマンぐらい途方に暮れてしまう。休み方がわからない、中学生はそんなに疲れないのだ。友達と教室で喋るだけでも良いが、じっとしてられない。次の授業の準備なんて1分もあれば充分だ。となるとやることがない。

 

そうなるとコゾって皆トイレに行く。本来休むということは体を動かさないだが、そこはあえて体を動かし、心身の健康を目指すためにトイレに行ってちんぽをだしてションベンをする。こうしてるだけで5分くらいは潰せることを覚えて、暇さえあればトイレに行くようになる。

 

突然だがこの先は男のションベンについてある程度知識がないとついていけないので、説明をしなければならない。

 

男のションベンは実に単純である。そもそも古代より狩猟を主としてた男性は、どこでもすぐに用が足せるように、陰茎が外に出ている。(※陰茎とは、ちんぽです)

 

トイレに入ると大概が立ちTOTOだかINAXだかの小便器がいくつか立ち並び、その後ろに大便専用の個室が設置されている。

 

チャックから陰茎(ちんぽ)を取り出し、膀胱にぐっと力を入れて、出始めたら力を抜き後は成り行きにまかせて出るだけだしてしっかりちんぽ(陰茎)を振る。この振る行為をおざなりにすると、男性器(ちんぽこ)をズボンに閉まった際に漏れたりする。

 

だが、そのチャックからおちんぽ(ペニス)を出すだけのお手軽さを考えれば、以下に簡易的で単純な行為であることが伺える。

 

ただ、このお手軽さから弱点もある。

 

本来、排泄行為は他人に見せるべきではない。だが、現状この世界のトイレの仕組み上、小便器同士は隣接し、特に区切られてない。一蘭のような簡易的な仕切りすらない。

 

トイレデビューを果たしてから約10年、うすうす気付いてはいたがどうやら家の外でトイレする場合、他人様と並んであの大した奥行きのない湾曲な小便器に陰茎を隠し、ションベンをしなければならないのだ。

 

我々は第一期の時に人様の前でおしっこやうんこを見られることは恥ずかしいことと教え込まれてるのです。なので、人様の前でおしっこすることは本来恥ずかしいことであり、並んで仲良く放尿の儀なんてとんでもない!ということです。

 

とはいえ、大便専用の個室でおしっこをすることはうんこと間違われる可能性があるためできません。なので、仕方なく皆の前でその陰部(おちんぽ)を出してトイレをするのですが、なかなか出ないのです。

 

そう、なんとあれほどお手軽で簡易的で利便性の高かったはずの行為が、人様の前であること、そしていうなれば後ろに立たれるだけで難易度がグーーんと上がってしまうのです。ウルトラC級です。

 

なので、できれば我慢しておしっこが出やすい状態でトイレに駆け込みその難易度を膀胱の膨らみにより下げたいところなのですが、そこは思春期です。

 

おとなになるためにはトイレにいかなければならない。諸行無常

 

まぁ、大人への階段を登るため小便に行く。こうした勘違いはすぐに終わります。ただ、それは習慣へと変化していき、気付けば我慢できるはずの尿意でさえも、行ける時にいっとこう。という考えに変わっていきます。

 

それに、トイレはなにもションベンをするだけではありません。友達や、他のクラスの生徒・時には上級生や先生など出会いの場でもあります。ちんぽむき出し社交場です。

 

先程も言いましたが膀胱の加減や、緊張によってションベンが出るまでの時間は人によって変動します。

 

「あ、先輩だ!挨拶しなきゃ」と思って後ろから「お疲れさまです!!」なんて大声をかけた日には先輩のおしっこが止まってしまったり、出そうだったものが引っ込んだりと逆に印象を下げてしまう可能性もあります。ションベンが途中で止まってしまうのは、すんんんごいストレスです。

 

最初は先輩も「俺おしっこしてる時話しかけられると止まるんだよね」と気さくにいってくれるでしょうが、それも長くは続きません。さすがに同級生と「◯◯先輩はおしっこ中に話しかけるの禁止」なんてバカな情報交換はできません。

 

なので、「トイレではでかい声を出さない」「おしっこ中にはなるべく声をかけない」「人によって出るペースは違うのでなかなか小便器が空かなくてもイライラしない」といったことを処世術として覚えていきます。

 

中には、とんでもない悪ガキ(ヤンキー)に出会う時もあります。彼らはションベン中に後ろから穴を蹴り上げるという悪質極まりない行為を行います。その時はもうションベンが飛び散ってしまい、ズボンや手が汚れたり、ションベンが止まったり場合によってはバランスを崩して小便器に顔をつけてしまうなど、大パニックをおこします。こういった行為は後ろに人がいるとションベンが出ないというトラウマを産むことになるので絶対やってはいけない。だがこういう経験は必ず活きます。

 

そういうことを知らずに社会人になってしまうと、スキンシップ代わりに上司の穴を蹴り上げてるなど奇天烈な行動をしてしまい嫌われてしまう可能性がある。できるやつは「挨拶する時はションベンが終わったタイミングにしよう」と常識的な行動ができるため自然と上司の評価も上がります。

 

たくさんの経験、出会い、そして失敗を繰り返し、トイレは日常に溶け込んでいくのです。  中・高・大学と進学を経てどこに出しても恥ずかしくないションベン戦士がこうして誕生するのである。

 

特に大学は授業の時間が90分と非常に長い。中・高は、といっても顔なじみの人間ばかりと顔を合わすことが多いが、大学は知らない人がガンガンいる。こういう環境の中では、かなり排尿ペースを鍛えることができる。大学は勉学ではなく、便学を学ぶ場所と言っても過言ではないだろう。

 

 ここまでが第二期だ。

 

第一期では、ションベンに対する価値観の変化。第二期では、ションベンと生活の密接。

 

そして第三期、社会人編では回帰がテーマとなる。

 

社会人になると、仕事や人間関係のストレスが今までの比じゃないくらいに跳ね上がる。楽しかったパーティーの場に、窓から野犬が入ってくるくらい一気に変わる。だめだこりゃ

 

日々のストレスを発散すべく、時にはお酒に溺れてみたり、ボルダリングに挑戦してみたり、電車内でめちゃくちゃでかい声で発狂してみたり、手を変え品を変えありとあらゆる手段を試してみるがどうも上手く行かない。

 

仕事と真正面から向き合いすぎて疲弊する。上手いこと手を抜いていかなければならないが、それができない。そういう人に限って、いきなり有給を取らされても何をしていいかわからず一日寝て過ごしてしまうのだ。

 

結局人といても疲れるから、一人の時間が欲しくなる。一人で考えたり、ちょっと心を休めたくなる。でも、いざそういう場面になったらどうしていいかわからない。誰しもが休みたいはずなのに、それができない。

 

休み方がわからない。なんと不幸なことだろう。

 

そうして疲弊した社会人たちは、ある種回帰的な考えにたどり着く。

 

記憶を一気にさかのぼり、中学生の思春期だったあの頃の自分に会いに行く。背伸びして、休むことがかっこいいとか思ってた自分にです。

 

あの頃はただトイレに行って時間をつぶしてたわけですが、今は時間をつぶすわけではなく休むためにトイレに行くのです。今まで使うことがなかった大便専用の個室に閉じこもり、いっときの安寧を過ごすのである。

 

こうして、厳しい社会人生活を過ごす中でションベン=休息という方程式ができあがるわけだ。

 

おわかりいただけたでしょうか。

なぜ30歳を過ぎてからションベンに行く回数が増えたか、その理由を。

 

僕らは休みたい。いや、休ませたい。心を、身体を、膀胱を。だからトイレに行くのだ。

 

今、街の中はトイレで溢れかえっています。なんと優しい世界だろう。僕は心からそう思います。

 

あの日あれほど恨んだ革命軍の基地は、今では安息の地に変わり、むしろ一番落ち着く場所にまでなりました。

 

革命前夜、僕は泣きながら漏らしたションベンの不快感を訴えていた。革命軍のリーダーがあの小部屋から出てきて、僕を優しく抱きかかえてくれた。新しいおむつを履いてご満悦な表情を浮かべる僕。

 

いつか自分が革命軍のリーダーになるなんて知る由もない。

 

以上、革命軍の基地よりお伝えしました。

 

 

fin