鳥人と老人の竿
「老人の竿が!老人の竿が流されていくーーー!」
TVのナレーションの声が、リビングに響き渡った。
高校2年の夏休みも半ば頃、僕は友達の鉄男の家に日々足繁く通っていた。
この夏は特にひどい猛暑で、日中は茹だるような暑さが続き、夜になってもその興奮は冷めず熱帯夜は続いた。
今では考えられないが、熱中症に対する意識が世間的にもまだまだ低った。所ジョージもまだオーエスワンを飲んでなかったし、なんならCMもやってなかったし、世界まる見えのMCはまだ楠田枝里子だった。
我が家はそれほど裕福な家庭でもなかったので、日中にクーラーをつけるのはもったいないという暗黙のルールが敷かれていた。なので昼間に家にいるのは命の危険に関わるんだ。
実際夏休み前半に家で夏休みの宿題を片付けていたが、あまりのわからなさと室温のダブルパンチで頭が熱暴走をおこし、かいた汗で宿題がびしょ濡れになってしまったことがあった。岩盤浴顔負けだ。
そのプリントは乾いてもなおマイクロ波のように波打って提出する時に、なぜかそれを理由に教師に怒られた。
なので何をするにも外出しなければならなかった。
そこで僕は鉄男に目をつけた。
こいつの家は裕福で昼間からでもガンガンクーラーをかけられる。
それにどうせこいつは毎日暇だろう。勝手に高をくくっていた。
いったらなんだがこいつは友だちが少ない。別に悪いやつではないし、嫌味なところがあるわけでもないが、ある事件を境にクラスでめちゃくちゃ浮いてるのだ。
高校1年の冬、笑い飯がクラスでめちゃくちゃ流行っていて奇しくも鉄男という同じ名前のせいで、「鳥人!鳥人やってくれよ!」と日々いじられまくった。
鉄男は、下ネタが好きだが声がでかいタイプではない。ぼそっと面白いことをいって周りの男子をニヤつかせる人種で、こういう奴に限って芸人のマネを極端に嫌う。それに自分のことをよく分かってるので、そういうノリからうまいように今まで切り抜けていたのだろう。まさか自分に白羽の矢が立つとは。
最初はやんわり断っていた鉄男も、日に日にエスカレートしていくクラスの陽の者の「鳥人コール」に耐えきれず、ある日ブチギレてしまった。
「鳥人!鳥人!鉄男!おい!無視すんなよ~!鳥人!鳥人!」ワキャキャ
「……」
「お~い!聞こえてますか~??鳥人やってくれよ~!」ハハハハッ
「ああああああああああうるせええええええ!!!!」」」どんんん!!!!
教室の空気が静まり返る。
とどまることを知らない鉄男は続けざまに
「鳥人やったろやないかい!!!これでいいやろ!!」
とう言いながら鉄男は、両腕を翼に見立て羽ばたきながら机の上に飛び乗った。
そして、ぴょんぴょんと机の上をジグザグに飛び回ったかと思えば、勢いそのままに教室の窓から消えていったのだ。その日は珍しく大雪で教室の2階から落ちた鉄男も雪のクッションに助けられたのか、倒れるわけでもなく大事には至らなかった。教室には帰ってこずにそのまま走って帰っていき、我々クラスは教師からめちゃくちゃ怒られた。
次の日からクラスで笑い飯を口にする人はいなくなったし、鉄男にはちゃんと謝らなきゃだめだってとクラスの女子を中心に熱くなってて、陽の者達は完全に敗戦ムードだった。
ガラッとドアが空き、鉄男が松葉杖をついて教室に入ってきた。
昨日ぶりにまた静寂がクラスを包む。鉄男が松葉杖を付きながらゆっくり進む。
杖が地面に付き鉄男が重心をずらして前に進む。制服の擦れる音が空間を支配する。
陽の者にゆっくりと近づく鉄男。
彼らを中心にクラスは自然と円形に広がり間を開ける。俺もその中に加わっていた。
緊張が走る。つばを飲み込む音さえ聞こえてきそうだ。
陽の者が動こうとすると鉄男はそれを手で制した。
そして鉄男は松葉杖を股にはさみくるっと振り返り、何を思ったのか大声でこう叫んだのだ。
「でっっっかい!おちんぽ!!!!!!!!」」」」」」」」」」
またクラスは静寂に包まれた。それは闇より深い闇の中に居るようだった。
残酷だった。勝手に祭り上げられて、気付けば崖から落とされていた。いや、勝手に落ちたのか。そして一か八か、起死回生の望みを懸けて渾身の下ネタを放ったのだ。骨折も嘘だった。そしてその代償はあまりにも重かった。そして、手に入れたのはガチでやばいやつという称号だけだった。
なので、そんなやつと絡む物好きは学年でも俺だけだと分かっていた。
あいつはこの長い夏休みを涼しい部屋で一人で過ごすことになるはずだ。
それはあまりにもつらすぎる。
元々は良いやつなんだ。笑い飯の話さえしなければ問題ない。
それに本来の鉄男は下ネタを扱うのが上手くて面白い。だから大丈夫だ。
そうして俺は、鉄男が寂しくて死なないように、俺が熱中症で死なないように一方的に決めたのだった。
毎日はさすがに迷惑だろう。俺にもそういった常識的な気持ちもある。
3日に2日くらいのペースで通うことにした。
案の定、鉄男は快くかはわからないが俺のことを迎え入れてくれた。
なので、その日もいつもどおり昼過ぎぐらいに鉄男の家に行った。
チャイムを押すとおばちゃんが出た。
なんでも、ゲームの発売日だから近所のTSUTAYAに行ってるらしい。
すぐ帰ってくるから部屋で待っててと言われたのでそのまま鉄男の部屋に待つことにした。
30分くらいしてからだろう。ドアが空き、鉄男が帰ってきた。
「来てたんか。昼飯まだ食べてないからリビングに行くけどどうする」
たいして腹も減ってなかったが、主人のいない部屋で勝手にクーラーを付けるわけにもいかず、待っている間に汗をかいてしまったのでついていくことにした。
きっとリビングは涼しい。
クーラーの効いたリビングで、鉄男は冷やし中華を食べ、俺は麦茶を飲みながらテレビを見てた。
おばちゃんは一緒に座ってTVを少し見てチャンネルを変えて面白い番組がやってないことを嘆いていた。僕も鉄男も反応しないため、それは少し大きな独り言のようだった。
鉄男の冷やし中華も後半分くらいのところで、気付けば漫才番組に変わっていた。
俺は気になった。そういえば鉄男って家では笑い飯とどういうふうに向き合ってるんだろう。
この2週間ほどほぼ毎日一緒にいるが未だに人となりがつかめない。俺は涼しければまぁいいので、こいつがやばいやつであろうがなんだろうが関係ないが、さすがに笑い飯の点だけは気になる。
友達が来ててわざわざリビングで飯を食うあたりあまり反抗的な態度は親に見せてないのかもしれない。こういった家では良い子ちゃんタイプはやばいヤツが多い。
現に、この2週間ほど一緒にいるがこいつの口からちんぽとうんこ以外の言葉を聞いたことがない。手を変え品を変え、下品でくだらないコメディーショーを毎日俺に披露してくる。あれ以来確実にこいつの下ネタは切れ味をなくしている。もう今はこいつの坊ちゃん刈りはちんぽにしか見えない。
TVに目を移すとCMの後笑い飯が!と書いてあった。
来る。あの事件からはや数ヶ月。
おばちゃんのザッピングの手はすでに止まっていた。部屋においてあった松葉杖だけはまだ会話のネタにしていない。
犬がしゃべる携帯電話のCMが終わり、漫才が始まった。
おそらく気付いたのだろう。ズズズッとすする音が止まり、箸が止まった。
鉄男は全く笑わない。むしろ負の感情すら感じさせる。
おばちゃんの笑い声と共に、ネタは進行していく。
それとは反対に同時に我らの間には、永遠にも近い深い沈黙が流れていく。
今この場において笑うことを許されているのはテレビの中の観客とおばちゃんだけだ。
俺だって笑いたいけど、笑えない。なんだよ。こんなに面白いはずのネタがなんでだよ。くそぉ
長い沈黙を終え、笑い飯のネタも終わった。
少し間をおいてまた鉄男の箸は動き始め、ズズズッと音を立て始めた。
はぁ〜〜、気まずい。もう帰りたい。別に俺がなにかしたわけでもなかったのに。
こんなことならCMの間にトイレに行けばよかった。笑い飯に対して好奇心なんか持つんじゃなかった。
いっそのこと今から松葉杖を持ってきて俺もでっかいちんぽこってやってみようかな。そうすればこいつも笑ってくれるかもしれない。
そうすれば名実ともに俺と鉄男は親友になれるんじゃないか?寒い冬の日もこいつの家に足繁く通えるんじゃないか。そうやって前向きに思考を向けないととてもじゃないがこの場にはいられないくらい気まずかった。
そうこうしてる間におばちゃんはまたザッピングし始めた。
今度は、関西のローカル芸人が川魚を釣りに行くロケが映し出された。
鉄男はもう冷やし中華をすっかり食べ終えているにも関わらず動こうとしない。
たぶん鉄男も気まずいに違いない。なんせあんなことがあったんだ。
ここで気まずくなって明日から俺が来なくなったら、毎日あいつの下ネタを聞くやつがいなくなる。それは困るに違いない。
リビングで友達の親と一緒にテレビを見ている。なんてのどかなシーンだ。
こいつが切れて窓から飛び降りなければ。とち狂ってちんぽとか叫ばなければ。
そうすればきっとさっきも楽しく漫才を楽しめたはずなのに。ちくしょう。
そうこうしてるうちにおばちゃんは皿を片付けて洗い物を始めた。
とうとうこの場に居続ける必要がなくなった。部屋に戻るか。
その時だった。
「老人の竿が!老人の竿が流されていくーーー!」
僕らはTVを見た。
どうやら、自称釣り名人のおじいちゃんが竿を川に流してしまったのだ。
日頃からこいつの下ネタを聞き続けたせいで、竿のことはもうちんぽにしか思えなかった。
僕らは笑った。まさか昼のローカル番組で下ネタが聞けるとは。
いや、そういう糸はないからこそ面白かったのかもしれない。
老人の竿と共に僕らの気まずさも流されていった。
部屋に戻ったら、松葉杖を股に挟んでみよう。
今ならきっと鉄男も笑ってくれる気がする。
あの日初めてみた鳥人のネタのように。
fin