にっきもどき。

ちんぽから社会問題まで広く扱いますが日記らしい日記はひとつもないらしいです。現場からは以上です。

長文がキモいという世界で

 

 

※今回は、コリコランが欲しい。というPR記事です。※

 

「長文まじでキモい。」

 

平成が終わって令和になった。

かと言って特に生活が変わったかと言われればそんなこともなく、ただ日常は変わらずたんたんと同じ速度で流れていくだけだ。

新年号で一番盛り上がっていたのは発表前だったような気もする。

結局こういう物事の本質は、旅行の予定を立ててるようなものであれこれ考えてるときが一番楽しいのであろう。

なぜなら妄想のたぐいは、他の誰からも干渉されないからである。

 

自室で会社に提出しなければならない年末調整の書類を書くために、ボールペンを探しながらそんなことを考えていた。

 

30歳になる前は大騒ぎしたけれど、なったらなったで「なんだ。なってみれば変わると思ってたけどそうでもないな」と余裕をかましたりしたもんだ。アンケートを答える際に30代に丸をつけた時に、その実感が大きくのしかかったけど。

 

こういう書類にも、なんだかそういうハッとするような現実があるのかな。と思ったがそうでもなかった。

書類の中央上部に書かれている年号が平成から令和に変わり、本来なら31まで刻まれるはずだった数字がまた1に戻っただけだった。

 

結局年齢も年号もただの記号に過ぎない。

我々をカテゴリーごとに分類する時に、非常に便利。ただそれだけだ。

そう考えると世間は何かと決めつけるのが好きだなと。むしろそうしないと気がすまないのだろう。

 

特に若い世代は、なにかとひとくくりにされることが多い。

今若者に大人気!と言われても、それがいったい何歳なのかわからない。

でもなんとなく、10代後半から20代前半を指してることはわかる。

 

でもよく思い出してほしい。18歳の高校3年生と、21歳の大学3回生はもう全く別の生き物だ。18歳はこれからくる煌びやかで華々しい大学生活を夢見てその大半が一生使うことにない数学の公式や、中世ヨーロッパに起きた革命で死んだ人間の名前となにしたかを覚えているし、21歳の大学3回生は、汚ねぇ居酒屋のトイレで、さっき飲んだハイボールを、ネギマとだし巻き玉子を口から垂れ流してるだろうし、そういう奴は大学の授業ももれなくサボっている。

こいつはほんとに同じ人間なのか?

それくらい変化に激しい歳にも関わらず、彼らは同種族として若者にカテゴライズされる。

 

そして今まで若者として、よくわからない人間たちとして世間からチヤホヤされたり、同世代の犯罪者がでたらまるで全体が諸悪の対象されたり、散々弄ばれた結果、25歳を過ぎるやいなや突然アラサーという言葉にカテゴライズされ、中年の洗礼をうけるようになる。

 

これはもう儀式のようなもので、「もうあなたも若くない」「昔みたいにむちゃできないよ」とまるで名医のように人の健康状態を暗示してくる。火を焚いて囲まないだけマシだが。

 

ちなみに30歳になるとまた同じことを言われるし、多分これは今後も続く。35歳、40歳と節目のたびに言われるんだ。

 

もはや、これは本能的なものだろう。孔雀は自分の羽を大きく広げることで求愛行動を示すし、猿は強さでその人望と山のてっぺんに寝床をこさえることができるように、生き物にはDNAに刻まれた習性がある。それが暗黙のルールを生み、そこからはみ出したものは別の何かに参加したり、そのまま後退し滅んでいった。

 

我々人間は、思考を持つ唯一の動物としてこの地球の生態系のトップに立ってる。

人類みな兄弟。素敵な言葉だ。でも実際は隣家がなにを考えてるかなんてことすらわからない。

 

その生態系トップの我々は、自分たちをホモサピエンス名付けて猿やゴリラと言った他の哺乳類とは違うことを明確にし、鳥や猫、木や花、道に生えてる雑草、あまつさえ顕微鏡をこしらえなければ見えない菌にすら名前をつけてとにかくカテゴライズしていった。

これは危険がないよう、生きていくためには必要なことでもあった。

人類の歴史は、区別の歴史だ。

 

最初にふぐを食べた人は確実に死んだし、こんにゃく芋からこんにゃくを作ったやつは食に対する根性が尋常じゃないし、納豆を食べたやつは相当卑しい。腰が痛い時は、灸を据えたりしたもんだ。

 

とにかく過去の研究者たちが、その身を粉にしてトライ・アンド・エラーを続けた結果、こうして今のほほんと生きていけるのだろう。

 

だからこそ、同じ人類、ましてや同じ日本人で少し年齢が離れてるだけの彼ら彼女らが一体何を考えてるのかがわからないのが怖いのである。

 

安心できない。若いやつはなにを考えてるんだ。

そう思うと自分たちとは違うんだと区別したい。

いつまでも彼らも若いままではない。

社会という荒波に揉まれれば、仕事という共通のテーマで意思疎通が可能になる。

25歳くらいからアラサーだといえば、若者である意識もなくすことができる。

そうしたらちょっとずつまた自分たちの仲間に入れればいいじゃないか。

人が来るからベッドの下に洗濯物を掘り込む様に、いったん見えなくしてしまおう。そういうことじゃないのか。

 

そういった本能的な部分できっと若者をいったん排除し、手駒にできるほどに成熟した段階で自分の仲間に取り入れてるのだ。きっとそうに違いない。

 

どうでもいい思考ばかりがめぐり、肝心のボールペンは見つからない。

とりあえず考えは自分の中で折り合いがついたので、ボールペンは諦めてることにした。

書類を書くと肩が凝る。今日はなんだか体調が悪いからまた別の日にしよう。

 

ほっとリビングで一息していると一通のLINEが届いた。

スマホを取り出し、アプリを起動されながらLINEも恐ろしいくらいに浸透したなと、改めて感心した。

 

スタンプ文化は日の目を浴びなかったクリエイターを救い出し、恐ろしいくらい経済を回した。

僕がまだ若者とカテゴライズされてる時は、メール文化だった。

メールボックスをわけて、着信音(着メロ)をフォルダごとに変更したり、大事なメールは保護してずっと取ってあった。楽しかった。

何より、口下手な私にとってメールは大事な意思疎通ツールだった。

 

長文のメールのやり取りは会話より楽しかった。

文通より手軽だし、めんどくさがり屋なわたしにとっては携帯電話が発達して本当に良かったと思った。

 

LINEの相手は、この前マッチングアプリで出会った女子大生ゆりちゃんだ。

ご飯に行ったのでお礼のLINEを昨日の夜送ったんだった。

 

「長文まじでキモい。」

 

メッセージを開くとそう書かれてた。

クラっとした。下腹部がずーーーーんっと重くなった。

痛みはそのまま貫通し、なんだか腰も痛くなってきた。なんだか熱もでてきたような気がする。

 

カルチャーショックだ。

 

今まで長文を生業に意思疎通を取っていた私にとって、内容ではなく文字の長さで罵声を浴びせられる日が来るとは。

 

確かに今の若者は簡略化文化だ。

りょうかいは「りょ」、または「り」。とりあえずは「とりま」、よろしくおねがいしますは「よろ」とかいう。

 

理由はめんどくさい。楽だ。とかそんな理由。

私も相当なめんどくさがり屋ではあるが、言葉を省略するなんて発想はなかった。

何より、自分だけが使っているわけでもなく、全国的に若者を中心に当たり前のようにこの言葉が使われてるし、なんなら私達アラサー世代の人間も使ってたりする。

美しい日本語とか、声に出して読みたくなる日本語だとかあのブームはどこへ言ったんだ?あのベストセラーは今、ブックオフのワゴンの中で眠ってるのか???

いかれてやがる。どうなってるんだ…だから最近の若者は…なんで長文がキモいんだ…

 

思ってるだけならまだしも、口に出したら戦争だろうが!カイジも言っていた。

私は反論の文章を打ち込み始めた。

 

こちとら携帯歴十数年の大ベテラン。ガラケーからスマホになったとしてもフリック入力には自信があった。

「キモイ?いったいなにがきもいのでしょうか。あまりにも失礼かと。それが目上の人間に使う言葉でしょうか?そもそも文章にはそれぞれの単語に意味があり、それを接続詞、助動詞、はたまた装飾語などで色付けし、構成されているのです。文章が長いからキモいというのはあまりにも安直すぎませんか?さらにいえば………」

 

1000文字は超える長文を打ち終えたところで、はっと我に返った。

全く馬鹿げた話だ。こんなことに時間を潰してる暇はない。

書類だって書かないきゃならないのに。

 

打ち込んだ文章はもったいないが削除して、インスタントのコーヒーに牛乳を入れて、筆立てからボールペンを取って一緒に自室に戻った。

 

書類を書き終えてコーヒーで一息つく。これが大人の嗜みだ。

しかし変に熱くなったせいで肩も痛くなってきたなぁ…

 

あぁこんな時にコリコランがあれば…

 

コリコランとはパナソニックから発売されている肩・腰のコリ改善を目的と業界唯一医療機器として認証された家庭用の高周波治療器です。

 

幅3センチ、重さ6gと恐ろしくミニマムだ。昔の高周波治療器は、とにかくデカかった。肩に乗せる用の異常に重いパーツにあからさまな樹脂製のケーブルがこれはまたでかい機械とつながっていて、その機械の電源を入れると方のパーツが温かくなる。

これで効かなきゃなにが聞くんだ!と言わんばかりの存在感が効果だった。

 

でもコリコランは先程も言ったが幅3センチ、重さ6g。スナック菓子に入ってたドラゴンボールメンコと同じくらいのサイズ感だ。

 

ドラゴンボールメンコを肩に乗せても、メンコに付着した植物油で肩の滑りがよくなるだけだし、7つ集めても神龍は出てこないし、肩こりは治らない。

でもコリコランは、乗せるだけで高周波パルスが血管を広げて血行を促進し、患部を治療してくれる。

これはデンデもカルゴもびっくりだ。

 

さらに3時間の充電で、24時間稼働し続ける。

つまり日常生活を送りながらも治療することができる。

 

日本は肩こり社会。今これを読んでいるあなたも背中を丸くしえスマホまたはPC画面を覗き込んでいるに違いない。

もし私が最初からこのコリコランをつけていれば、きっと書類も早々に書き終えることができたし、さっきのLINEもきっともっと大人の対応ができたはずだ。

 

肩・腰のコリがない生活は素晴らしい。

 

コリコランを買いに行こう。それがいい。

 

 

そうだ。今度彼女と一緒にコリコランを買いに行こう。

きっと彼女も肩・腰のコリが酷くて、悪態をついてしまったのだろう。そんな時に、アラサーのおっさんから長文のお礼文が届いたと思えば気持ちはわかる。きっとそうだ。

あ、また自分をアラサーなんてカテゴライズしてしまった。あはは。私もまだまだだな。

 

よし。さっそく彼女にLINEを返そう。

もうダメかもしれないけど、謝罪してデートの誘いをしてみよう。今度は短文でわかりやすく。

 

あれ。メッセージがまた来てるな。誰だろう。

 

ゆりちゃん

「そういえば、顔もキモかったよ」

 

涙を止める高周波治療器の情報お待ちしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

涙を止める高周波治療器はないですが、肩・腰の痛みにはぜひコリコランをお求めください!

 

fin