おっさんたちの根城
平日の図書館は比較的静かだ。
図書館は数人の中年と年寄りで構成されている。
中年男性はそれぞれのテリトリーを守るように疎らに座っている。
もちろん俺もその中の一員だ。
新聞を読むもの、日当たりの良い場所で居眠りをするもの、いくつかの本を持ってきて机に広げ調べ物をしているものなど干渉し合うことはなく自由に過ごしている。
別に物静かな奴が揃ってるわけではない。
調べ物専用のパソコンを使う時は、とんでもない大きな声で司書に声をかけてたりするし、孫と喋っているのだろうか、図書館の外でご機嫌に電話している時なんかはもう興奮してるのかめちゃくちゃ声がでかい。
「あゆみちゃ〜〜ん。プレゼント喜んでくれたかねぇ〜?んー?あーーーー、そう!それはおじいちゃんも嬉しいよぉ~~~~❤️❤️❤️」
このザマである。
うるせぇよ。もうちょっと離れたところで喋ってくれ。お前がそこにいると自動ドアがずっと開いてるから声がもろに入ってくるんだよ。なんて全員思ってるけど誰も注意しない。
この場においてあるルールは、図書館の中では静かにするだけだ。
外で孫と喋ってる以上は、どんだけうるさくてもセーフなのである。それに相手は老人だ。我々は目上の人間を敬う、中年男性とはそういう生き物だ。
それに公共の場でルールを正しく守ることは、はみ出しものの我らにとって唯一無二の社会への参加でありそれを咎めることは誰にもできない。
朝一は新聞の取り合いから長い一日が始まる。
先着順に取られた新聞を片手に中年男性と老人はそれぞれの定位置に進む。
ソファーに腰掛けて新聞をバサバサいわせる様はさながらアンサンブルのようで、まだまだ紙媒体が元気だぞ!と言わんばかりの軽薄なサウンドが聴こえてくる。
日経、朝日、読売、毎日の四重奏だな。
これがほんとの椿屋四重奏だな。と最初は思っていたが、こういうところからおじさんになるんだと思ってすぐに忘れた。
午後からは学校帰りの学生や調べごとにきた社会人、子供を連れてきたママさんとどんどん人が増えてきてそれに押し返されるように老人の数は減っていく。
ときどき中年女性もみかけるが彼女たちは図書館で時間を潰している我々とは違って必要なものを借りたらスッと帰っていく。
いつでも居場所がないのは年寄りにも若者にもなれない中年男性、おっさんばかりだ。
金のない中年男性たちはこうやってそれぞれの尊厳を守り、争うことのできない時間の流れを安息にベットし浪費していく。
こうして日が沈む頃には誰もいなくなる。
その日も朝から図書館に向かった。
司書の人がおはようございますと挨拶をしてくれる。こっちは図書館では喋らないというルールの元生きてるので会釈で返事する。
いつものように適当に本を探しふらふらと彷徨っているとどうも様子がおかしい。なにやら図書館が騒がしい気がする。いつも誰も座っていないはずの本棚の端に設置された椅子が半分くらい埋まっている。そして、普段見ないメンツがその場を占領している。
テーブル席もすでに8割が埋まっており、俺にいつもの定位置である4人がけのテーブルは学生たちが占領してた。
なんだ?今日は創立記念日か?
返却カウンターの壁に貼ってあるカレンダーを見る。
しまった。今日は祝日だ。
祝日の図書館は騒がしいんだ。
別に誰が大騒ぎしているわけでもない。
問題集に片手に頭を抱える学生や友達同士で問題を教え合う学生、大量の参考書を積み上げ資格の勉強に勤しむ社会人、そして新聞あんさんぶるスターズの面々。
消しゴムの音、椅子を引く音、学生たちのひそひそ声、そしてバッサバサとページを巡る音、それぞれが立てる生活の音がオーケストラとなり、昨日までの静けさはなく、そこには世界一静かな喧騒が鳴り響いていた。
きっと今日は一日このままだな。
まぁ仕方ない。いつもの定位置は諦めて適当な位置に腰を据える。
いつもはまばらに散っている中年たちも何倍も近い距離に身を置きそれぞれの生活を始めた。
1時間くらい立った頃だろうか。
なにやら外が騒がしい。
耳栓代わりに浸かってたイヤホンを外すと外で誰かが喋っている。
孫じじいが現れたのだ。
また孫と電話している。
「…はーい!もしもし!?あゆみちゃん?もしもし?あー、はいはい、昨日はありがとうねぇ〜おじいちゃんすっかり肩の!!え?おじいちゃんね!肩の!!凝りが!良くなりましたよっ!!!!」
とんでも無く声がデケェな。
歳を取ると耳が悪くなって、それを比例して声がでかくなるらしい。人間は自分の声を耳で聞き、音量を調節する。その為、耳が遠いと適切な音量がわからなくなり声がでかくなるらしい。これはイヤホンして音楽聴いてる時とか酔っ払ってる時とかになりやすいので皆さんも気をつけてください。
まぁ、つまりこの孫じじいのデフォルトは日本酒片手にイヤホンしてる状態だ。
どこで覚えたんだ?というくらい甘い声を出すので、図書館内にはくすくすと孫じじいをバカにする空気が流れ始めた。
我々中年男性たちは、普段からこのじじいの声は聞いていたのでなんとも思わないが若い子たちには少し刺激が強すぎるのだろう。手が止まり、彼らはその会話にそっと耳を立てている。
「肩が軽くほら!肩がぐーんぐんまわるよぉ〜!!ほら!!ほら!!!!」
テンションが上がる孫じじい。
落ち着け。電話では見えないから。
「ふぅ〜ん、あゆみちゃ〜ん!また遊びに行くねぇ〜!今度はおじいちゃんと一緒にお風呂入ろうねぇ〜」
なんだ?風俗嬢と電話してるのか?
電話の向こうのあゆみちゃん何歳か知らないけどドン引きしてない?大丈夫?
孫じじいの独奏は未だ衰えを知らず会話は続く。
そしてその影響は図書館内にも及んだ。
集中力の切れた人々が口々に会話を始めたのだ。
「うるさいねぇ」ガヤガヤ
「ちょっと離れたところで喋ってほしいわ…」ボソボソ
こうなってしまったらもうお手上げだ。
人々の不満は募り、それは公共の場では静かにするという最も簡単なルールすら破られてしまったのだ。
孫じじいの喜び、対する人々の不満、それぞれが交差する空間をただ静かに見守ることしかできない自分を悔やむ。孫じじいが悪いのか、それとも反応してしまうその若さが悪いのか。いや、まぁ孫じじいが悪いんだけどな。
しかしなんとなく積み上げてきたものが崩れるような気がした。
きっともう司書さんが「お静かに」と声をあげるしかないだろう。
諦めた僕はまたイヤホンをつけようとしたその時であった。
喧騒の中に、更にサウンドが加わったのである。
それは新聞あんさんぶるスターズであった。
日経、朝日、読売、毎日がバッサバサと新聞を羽ばたかせ、同時にゴホン、ゴホンと咳払いを始めたのだった。
これは古い時代昭和の父親たちがよくやる威嚇行為である。
秩序が乱れた時に彼らは直接注意するわけでもなく、なぜか物音を立てたり、咳払いをしたりと間接的に呼びかけるのだ。これぞ日本の侘び寂び。「お前達うるさいぞ!」と言葉ではなく態度で示してるのだ。
毎日図書館の平均年齢を上げることしかできない我々ができる最高のパフォーマンスなんだ!フルコンボ!!間違いなし!!!
きっとこれは彼らにも伝わるはずだ!
心の中で叫ぶ!
ここはな!俺たちの場所なんだよ!!
頼む!!静かにしてくれ!!
僕らの気持ちよ!届け!!!!!
「図書館内ではお静かにしてください!」
めちゃくちゃ普通に注意された。
なんなら孫じじいもすでに帰ってた。
いったいなんだったんだ。今の時間は。俺まで負けた気持ちだ。
謎の敗戦空気が漂う彼らはその日、新聞に手をかけることはなかった。
威厳のない我々は明日もまたこの図書館に来る。
それは平均年齢を上げる為でも、社会貢献をするわけでもない。
静かなオーケストラとしてまたいつもの日常を取り戻すためである。
fin