にっきもどき。

ちんぽから社会問題まで広く扱いますが日記らしい日記はひとつもないらしいです。現場からは以上です。

無意識のうちに水を放棄した話

お昼に丸亀製麺でうどんを食べていた時の話なんですが、皆さんはこういったセルフの店でのマナーは大丈夫ですか?

 

丸亀製麺では、店に入ったらお盆をもって列に並び、メインのうどんを注文したら、陳列されている天ぷらやおにぎりをとってレジに行くスタイルのお店、ほんとよくあるスタイルです。セルフの店の標準スタイルといっても過言じゃないです。

 

もちろん席を決まってないので、会計を済ましたら席を確保して食べたら自分で食器を片付けるところまで全てセルフです。席がないとしばらく立ち尽くすことになることをあります。

 

特に出口と入口が一緒の動線が絶望的な店だと泣きを見ることになるので、混雑する時間には行かない方が身のためですが、多分泣いてたら誰かが助けてくれるので最悪咽び泣くことをお勧めします。

 

とまぁ泣くこともなく注文から席確保までいけることが殆どで、今日ももれなく席確保まで漕ぎ着けて、さてさて釜揚げうどんを食べようかなと箸を用意して、天ぷらには今日は塩でいっちゃおう!なんて具合で食べ始めたんですよ。

 

ここまでは良かったんですが、天ぷらを塩で食べたせいでちょっと喉が乾いたんですよね。なので、まぁごく自然と水を飲もうとコップに手を伸ばそうしたんですがとんでもないことが起きたわけですよ。

 

それがこれです。

 

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これわかりにくいんですけど、右にコップがあるのはわかりますよね?左も見てもらってもいいですか?

 

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あるんですわ。コップがもう1つ。

 

これは一大事ですよね。トレイ内にコップがあれば問題ないんですが、何をしたのか両方外にあるんです。これどっちかは前の人が片付けてなくて僕はそれに気づかず座ってしまったわけです。

 

着いてすぐにお盆の上から水をリングアウトさせたことまではわかるんですが、どっちに置いたかが全然思い出せない。レシートがある位置に水があったことはなんとなく状況証拠からわかるが、どっちに置いたかわからない。

 

「でも右にあるのが自分のなんじゃないの?」と思うかもしれないですが、僕左利きなんですよね。無意識的に左手で水を飲んでそのまま奥に置いた可能性があるわけですよ。

 

しかもこれ角席なので、隣に人が来た時に水を間違えないように左側に置くことを全然あり得るわけですよ。

 

となると、じゃ左が自分の水?と思うんですが入ってる量がまだ絶妙なんですよね。真ん中よりちょっと少ないくらい。元々僕自身が水を汲んだ時にどれだけ入れたかを覚えていたら済む話なんですが全く記憶がない。

 

そういえばついてすぐに一口飲んだ気もするし、そうじゃない気もする。記憶がそのままそっくり抜け落ちているわけです。

 

つまりこれ今どちらの水も自分のではない可能性があるわけで、所有権を失っている状態なんです。これが、サハラ砂漠の真ん中でこのコップに出会ってたら何の迷いもなく飲み干すんですけど、違う違う、そうじゃない。ここは大阪梅田の地下であって、別に枯渇してるわけでもない。

 

 

ただ、天ぷらを塩で食べたせいで喉は乾いてるわけで水は欲しい。かといって今新しく水を汲みに行くわけにもいかない。なぜなら、すでにこの2つの水の所有権は僕にあるからです。

 

先程、所有権を失ったと言いましたがあくまでもそれは今この場で水を飲むことに対してであってこれを片付ける時に僕は両方を片付けないといけないわけです。

 

わかりますか?本来得ることができた水分という権利を無意識的に放棄して、飲むことができない水を片付ける権利だけが残ってるわけですね。

 

水は確かにそこにあるんですがこれは飲むことができない水であってあるのにない、ないのにあるという状態なわけです。

 

みうらじゅん先生の言葉を引用すると、これは仏教で言うところの空(くう)です。空とは、悟りの状態であり、完全に無であること、つまりなにもない状態を指すんですが、無であるということが矛盾しており、今私は無だと言う認識をもつとそれは無であることを認識している状態なので、無じゃないんですよね。

 

つまり今この水は誰のものでもあって誰のものでもなく、飲むこともできるが飲むことはできない、そういう存在なんです。

 

こうなってしまうともう頭がおかしくなりそうになるのでさっさと退散しようと言うことうどんをじゅるるるるるるる〜〜〜〜!!!!とすすり上げて、天ぷらをガブリガブリと咀嚼して喉が詰まったので水で流し込もうと手を伸ばすと水が2つあってムカつくから2つとも一気に飲み干して「めっちゃ美味かったっす〜〜〜!また来ますわ〜!!」と店内で絶叫してから走ってインドまで行きました。

 

ちなみにさっきは空とか言いましたけど冷静に考えれば空でもなんでもなかったです。

 

 

कृपया अपनी स्वयं की दुकान पर शिष्टाचार का पालन करें।

 

fin

それぞれの9秒

電車に乗っているといきなりAirDropが飛んできてですね、困惑したんですよ。

 

なぜならいっときこのAirDropを使った悪質なAirDrop痴漢というものがあってですね、いきなり見たくもないとんでもない画像が送られてくるという一方通行で極悪非道な所業が流行ったんですわ。


しかし、iOSもそりゃ勉強させてもらいましてね、事前に「◯◯のiPhoneが1枚の写真を共有しようとしています」とか表示させてですね、画像は見えないんですよ。こりゃ神設計だなと思い感心したんですよ。


しかし、それと同時に人間は罪な生き物ですよね。押しちゃダメと言われたら押したくなるんですよ。

 

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このtyosinsokuというめちゃくちゃ早そうな奴はいったいなにを送ってきたんか気になるわけですよ。もしかしたら、とんでもないグロ画像かも知れないし、胸躍るようなムフフな画像かも知れない。


漢字に直すと超神速っていうくらいだし、なにか速いものかも知れない。電車に乗ってるからN700のぞみか?いや、F-1界のレジェンドミカエルシューマッハか?はたまた人類最速の男ウサインボルトか?シドの飛空挺?エンタープライズ?ノーチラス?インビシブル?はたまた、提供スピードの早いことで有名な吉野家なんてトリッキーな発想も出てくる。


まぁ想像を膨らませるだけ膨らませて押さないが普段のチキンな私なんですが、今日は違ったんです。


不平等さが嘆かれる現代社会において、もう時間という概念だけが平等に与えられた天物であり、なんと時というのは人類皆同じペースで刻むんです。


しかし、それは状況に応じて、価値が大きく変わるわけです。有名な例えでいくとカップラーメンを待つ3分なんかはとても長く感じるわけですし、ウサインボルトは100mを9.58秒で駆け抜けるわけですからね。9秒でなにができるっていう話ですよ。なんにもできませんよ。まぁこのように普段からぼんやりと生きてるような私とは違って勝負の世界で生きている人間にとっての1秒、いや0.1秒は、そそり立つ壁のように目の前に立ちはだかるわけです。

 


先程、電車が駅で止まって乗客を入れ替えした際にですね、今風の可愛らしい大学生が乗ってきたんですよ。彼女は外を見ながらそれはもう幸せのお手本のような笑顔を見せてるわけですよ。それは、初孫を抱く祖父母のような優しい顔でしてね、大槻班長カイジに話しかける顔が100歩譲ってゴミ屑だとしたらその100億光年先に彼女がいるわけですわ。


手の振り方もね、小さいんです。もうね、動作が小さい。振ってるのか?ってなもんでしてね、敵国の警察組織に潜り込んだ諜報員が、同じく敵国の政府に潜り込んでいる味方にすれ違いざまにUSBを渡すようなそれくらい繊細で周りに悟られないような動作なんです。オックスベル16点鐘なんてもんじゃないですよ。


これはどう考えても彼氏ですよ。しかもこりゃ付き合いたてやな!ってなもんですわ。もしあの手の振り方が何かの2人だけの秘密のサインだとしても、愛してるとかまた明日とかそういう類のサインに違いない。


いやー、これが令和の恋愛!もう熱々すぎて満点大笑いあげちゃいます!これでご勘弁いただきたい!!!!てなもんですわ。


そりゃ相手もたいそうな好青年なんだろうと思いますが、さすがに振り返って見ることはできないわけですからね。キモすぎますからね。致し方ないのでその所作の一連を眺めてたらですね、目の前にいたのにどっか行かれました。

 

まぁその彼女と彼氏のドアが閉まって動き出した電車が2人を物理的に見えなくするまでにかかる時間を9秒としましょう。この9秒の間、きっと2人はあまりにも一瞬でそれはもうメルティーキッスくらい甘くて愛おしい時間なんですわ。


一方その頃僕ですね、早く家に帰りたいからはよもっと電車よ真面目に走れー!てな具合で考えてるもんだから、えらい長く感じるわけですわ。もうね、あたりめです。やっすいあたりめって噛んで味が出てくるまでに時間かかるでしょ?あれと同じです。

 

そりゃ味のしないあたりめ噛んでたら暇になってしまうのも仕方ないので、ついついガン見してしまって避けられるわけですわ。


まぁ同じ9秒でもこうと違うのかと。

 

クロノスタシスという時計の針が止まって見える現象があるんですが、まさに彼らは現象ではなく本当に時が止まればいいのに。そういう思いで別れを惜しんでるわけです。


インターネットの爆発的な成長により、我々はある種、孤独を失ったわけです。LINE、メール、電話、SNSといったコミュニケーションツールは、いつ、どこにいてもなにかしらで繋がっていれば、簡単に連絡が取れてしまうわけです。


小学生の時に転校して一生会えないと思っていた友達にFacebookで再開したり、もしかしたらもう二度と会うことはない友人ですらSNSでなんとなく動向を知れたり、さようならがくれるあの特有のノスタルジックさ、胸を打つような切なさは、時代とともに覆されたり、薄まったりしているわけですね。


そんな中でこの子はこんな表情ができるのかと思ったらですね、もうおじさんも胸打たれました。またすぐに会えるし、LINEとかしちゃうんでしょ?

 

普段なら2年後強くなって会おうとか、ましてや愛別離苦なものでもなかろうに。なんて斜に構えたこと思ってしまいますが今日はそうはならないわけですよ。


なので、この超神速さんのiPhoneから送られてきた画像を受けてみようと、そう思ったわけであります。


けして、ノスタルジーな何かを期待したわけではなく、いったい彼は私にどんな時間をくれるのかと。


そう思って受けた画像がですねこれです。

 

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「9秒カレー高砂店」

 

 

 

 

???????????????

 

大パニックですわ。だってカレー屋ですよ?

なんでも9秒で提供できなければ返金だぁ?
大盛り無料?
お持ち帰りできるってことは食べて帰れることもできるってこと?価格据え置き?増税したのに?
しかも、調べたら関西にねぇじゃねぇか…
 
どういうこと?なんの暗号?

 

でも…

 

こりゃ早い。想像より早い。いや、こりゃとてつもなく早い。どれくらいは早いってそりゃウサインボルトより早い。

 

あんまり早かったんで世界一早いのは9秒カレーと思ったんですが。家に帰ってメルティーキッス食べたらもっと早かったんで暫定1位はメルティーキッスです。

 

あたりめは、顎が疲れるんで失格です。

 

現場からは以上です。

 

fin

 

 

「お父さん」「飲みすぎ」「やめときましょう」

プシュッ 

 

気持ち良い音を立てて誰かがプルタブを空ける。

 

電車の中で。

 

音のする方向を見ると30代くらいの男性が、スマホをいじりながらその腕で缶を固定して余った手でプルタブを空けていた。物はストロングゼロだ。

 

その慣れた手付きは、さながら家の中のようで完全に自分の世界で行われていた。

 

電車内で缶の飲み物を飲むこと自体かなりの難易度だが、更にそれに加えてアルコールときたもんだ。最終電車一個前、それほど混み合ってはいないがそれでもカオスな雰囲気が音と共に車内に駆け抜けていく。まさにケミストリー、まさに融合。1+1で200だ!10倍だぞ!10倍!

 

蓋付きじゃない飲み物はここ10年くらいで一気に市民権を失った。図書館などの公共施設はもちろん、学校やオフィスなど、蓋付き以外は飲み物は禁止されてるのがほとんどだと思う。

 

紙コップなんかは、蓋付きが当たり前になってきた。子供の頃、いつもダイエーの外に設置されてる紙コップの自販機でジュース買ってもらってたけど、あれももう漫喫とかパーキングエリアくらいでしか見なくなってきた。

 

結局、ペットボトルが優秀すぎて選択肢の中に缶が入ってこない。飲みきらなくてもいい、これ冥利に尽きる。350mlとか飲みきったらもう便所ですわ。次点でこれまた紙パックのストローさせるタイプ。で缶と続くけど、350mlとか飲みきれる気がしないし、缶コーヒーですらもう似たような値段で500mlのペットボトルがあるからそっちを選んでしまう。

 

となると缶ジュースは同じ500mlでもペットボトルに勝てる気がしないから、値段を下げるしかなくて、自販機でも120円とか安く販売されることになる。でもそういうのって、家に帰ってから飲むから結局外では空けない。

 

じゃあ缶空けるときっていつ?

 

それはもうもれなく酒。缶ビール、缶チューハイは未だ市民権を得続けている。ペットボトルのお酒ってあんまり売ってないよね。缶もしくは、瓶。花見とか夏祭りとか持ち込みするイベントではもうそこらかしこでぷしゅぷしゅ言ってる。打ち上げられる花火の数より多いくらいぷしゅぷしゅ。

 

じゃあ日常生活で人が缶の空ける音を聞けるのはどこ?

 

外であの音を聞こうと思ったら基本的に今から飲みきる人間を探さないといけないので、自販機の前やコンビニのゴミ箱の近くにいる必要がある。でも用もないのにずっと居続けるのも厳しい。これからどんどん寒くなるから更に厳しい。

 

 となると実はそのサウンドを耳にすること自体、結構レアだったりする。

 

 

だから、今目の前でストロングゼロのプルタブを「プシュッ」と空けたことはかなり目立つ。サウンドがチョー気持ちいいんだけど、ただその分「やべえやつが現れた感」はかなり増す。こんな場所でこんな音が!?!?感だ。

 

不回避的なシンボルエンカウントはえぐい。

 

経験上、こういう輩には絡まないほうが良い。彼らは酔ってるだけで、別にただそれだけだ。電車内で酒を飲む行為自体がすでにやばいんだけど、それでもまだ理性はちゃんとあってただただ酒が飲みたいだけ。手を出さなければ何もしてこないドライアードに近い。おっさんのドライアードだ。

 

ただ生半可な正義感で、手を出すと痛い目にあう。俺もそういう経験がある。

 

あれは、暑い夏の日だった。

 

 会社帰りに同僚と冷麺を食いに行った。北新地にある冷麺専門店で、大阪の熱い夏にはぴったりで、結構美味かった。あまりにうまいもんだから、テンション上がってキムチも注文してそれもうまくて、トータル大満足して帰った。うまい食べ物はいつも元気をくれる。口臭は完全にキムチなんだけどそれも全く気にならないくらい元気だ。

 

地下鉄に乗ってなんばについて、地上へ上がるエスカレーターに乗っていたら何やら上が騒がしい。上を見てみると、どうやらステップが階段から平面に移行していく部分に誰かが倒れている。

 

上まで来て見てみるとおでこから血を流したおっさんが倒れていた。その周りには30代くらいの女性が数人いて、「大丈夫ですかー?」と声掛けをしていた。

 

気になってその場にいる女性に話を聞いてみるとどうやらエスカレーターでつまずいてそのまま倒れて気を失ったらしい。しかもこれは、ついさっきのことらしく私達も慌てて声をかけたんです。とのこと。

 

 これは一大事だ。とりあえずこのままだとおっさんがエスカレーターに吸い込まれて行きそうなので、周りの人と協力し近くの柱まで運ぶことにした。

 

おっさんは結構ナイスガイなおじさんで顔も真っ赤にして全然動かなかった。顔の赤さから結構お酒を呑んでたことが伺えた。 とにかく声をかけても反応しないのが結構ヤバそうだ。

 

運んだ人たちに協力を仰いで、駅員への連絡と声掛けを指示し、僕は救急車に連絡を入れた。救急センターの人に今いる場所とおじさんの年齢や容姿や状況を伝えた。電話は繋ぎっぱなしで、さっき声をかけた女性が連れてきた駅員にも事情を説明し、救急センターの人とも接続した。

 

一度電話を切り、状況を見守っていると突然おじさんが意識を取り戻した。

 

生きてた。

 

全員が安堵し、胸をなでおろした。

 

おっさんが言う。

 

「な~んの騒ぎですか?」

 

とんでもない事を言うなこいつ。

 

駅員が事情を説明して、今から救急車来るから病院行ってみてもらおうと説明する。

 

おっさんは言う。

 

「え?病院!?ダメダメ!!!部屋に帰るよ!」

 

は?どうやらおっさんは駅直結のホテルに泊まってるらしく、もう眠いから帰りたいみたいなことを言ってる。加えて、明日朝早いし、出張できてるから病院はちょっと…みたいなことも言ってる。明日早いのに呑みすぎだろおっさん。

 

そして駅員の制止を振り切り、ホテルに吸い込まれていくおっさん。

駅員は後は我々に任せてください!と言葉を残しておっさんを追いかけていった。

 

残された我々は、「おっさんマジ無敵っすね」みたいな会話をしてその場を後にした。過ぎ去っていく女性は少し苦い顔をしていた。

 

ふぅ。すごい体験をしたな。そんな気持ちだった。こういう人命に関わるみたいなシーンはなかなか経験することがないので、ちょっとだけ興奮していた。そういえば昔こういうシーンに出会ったことがあるがその時は周りの人がテキパキ行動していて、何もせずにその場を去ってしまったことを思い出した。

 

人助けではないが、困ってる人がいたらなるべく助けたほうが良いな。自分の中でそう納得させて明日からまた頑張るぞの気持ちで電車に乗った。

 

プシュッ

 

誰かのプルタブが気持ち良い音を鳴らした。

 

音のなる方向をみてみるとおっさんだ。またおっさんだ。今度は控えめに言って小汚いおっさんが、ストロングゼロを片手に、コンビニで売ってる串カツを食べていた。車内は混み合ってはないが席は全部埋まっていて、おっさんは立っていた。

 

とんでもないおっさんだな。と俺は思った。

 

見てて危なっかしいから席でも譲ってやろうかと思ったが、さすがに意味がわかんないからスマホでもみるか~とかばんを漁っていると何やら前が騒がしい。

 

なんだ今日は騒がしい日だなと視線を移すと、おっさんの前に座ってた女性がおっさんに文句を言っている。

 

「服が汚れるので電車内で食べるの止めてください。迷惑です。」

 

厳しめの口調で敬語を崩さない。真っ白なスカートを履いてて、持ってるかばんはビビアンだった。顔立ちがはっきりとした美人な人で、なんとなく結構稼いでそうだなと思った。

 

「すいません。聞いてますか?迷惑なので、辞めてください」

 

おっさんは聞こえてないのか、無視を決め込んでるのか全然反応しない。

 

「聞いてますか?」

 

女性が続ける。

 

「あの?止めてもらえません?」

 

全く反応しない。もしかしたら、その女性と俺にしかおっさんは見えてないんじゃないか?とすら思うくらい無反応だった。俺ならもう最初に注意された次点で心折れて次の駅で降りるし、食べ物も捨てるな。そう思うとこのおっさんは…

 

とんでもないおっさんだな!と俺は思った。

 

一方的なラリーが複数回続くととうとうおっさんがその口を開いた。

 

「んっだてめぇ???誰が迷惑してんだよこら!!!!」

 

とんでもないおっさんだな!!!!!!と俺は思った。

 

おっさんはやっぱり存在する生き物だったらしく、電車内の空気が一気にピリ付き始めた。さっきまで徹底的な黙秘権を行使していたおっさんは、水を得た魚のように女性に絡んでいく。

 

「ど~~~~こが!め~~~~いわくなんですか~~????」

 

「電車内で物を食べるのは非常識ですよ、止めてください。」

 

「な~に言っちゃってんの!誰も迷惑してないですよ???んん??」

 

「私が迷惑しています。止めてください。」

 

「あなただけが迷惑してるんですか?なら僕も今迷惑してますよ~~~?変な因縁つけられて!」

 

「え?………頭おかしいんじゃないですか?ソースや油がとんだらどうしてくれるんですか?クリーニング代払ってくれるんですか?」

 

「誰が頭おかしいんじゃボケエエエええええ!!!!!!!!」

 

 

とんでもないおっさんだな!!!!!!!!!!!!!!と俺は思った。

 

 

「ぜっっっっったいにこぼしませんよ~~~!だから迷惑じゃないですよ~~~!あなたこそ頭おかしいんじゃないですか~~????」

 

この異語尾を伸ばすタイプのおっさんは、女性の注意を全くもって聞き入れず、神経を逆なでするような返答を続ける。

 

おっさん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!と俺は思った。

 

お互い全く引かない口論は、激化していく。車内の空気はめちゃくちゃ悪い。そりゃそうだ。こんなやばいおっさんにできれば関わりたくない。誰もがそう思ってる。俺も思ってる。だが、そこで一つ思い出した。

 

「困ってる人がいたら助けよう」多分十分前くらいに決めたことだ。これ明日からとかじゃだめですかね?誰に言うわけでもないのに心のなかでこの場を回避する理由を探す。いや、だめだ。ここで逃げじゃだめだ…逃げちゃだめだ…

 

決心した俺は、喧嘩の仲裁に入ることにした。

 

どうやって声をかけるかを考えたがこれはすんなりと決まった。こういう時のまず逆上させてはいけないので、怒鳴ったり、お前が悪い!といったような正義を振りかざすのではなく、とにかく落ち着かせるのが一番だと判断した。といっても、おっさんは悪くないんだよと加勢してしまうとおかしな雰囲気になるので、できれば振り上げた拳の持っていくところを見つけてあげたい。

 

そうだな、酒のせいにしよう。「今日は呑みすぎですよ。」これだ。これがいい。

 

といってもいきなり「呑みすぎですよ。」声掛けるのも意味がわからない。あと、この場を注意する意味でももう一声ほしい。となると必然的に「もう止めときましょう。」がいいだろう。

 

「もう止めときましょう。今日は呑みすぎですよ」

これを言われた日には、おっさんももう俺のことは小料理屋の美人女将にしか見えないだろう。しゅんとして「ああ、今日はちょっと呑みすぎちまったな。すまんな。若いの。」てな具合で収まるに違いない。

 

 

あと、呼称についても吟味したい。どうみてもおっさんだから、おっさんと呼びたいのはやまやまなんだけど、さすがに小料理屋の美人女将はどんなけ汚いおっさんでもおっさん呼ばわりすることはないと思う。となるとおじさん?いやこれも違う。

 

「お父さん」

 

それだ!これがいい。お父さんと呼ばれたら一瞬家族の顔もちらつくだろう。

 

「お父さん。もう止めときましょう。今日は呑み過ぎですよ」

 

完璧だ。小料理屋の美人女将と家族。風神雷神だ。まさに盤石の布陣だ。

 

ねんがんの完璧なフレーズを手に入れたぞ!

 

てな具合で勇気を振り絞って二人に割って入り、おっさんに声をかけた。

 

「お父さん。もう止めときましょう。今日は呑み過ぎですよ」

 

「ああああん???だれだてめぇ?」

 

おお、おもてたんと違う。もしかしたら聞こえてなかったのかもしれない。次はおっさんの肩に手を置いてもう一回キラーチューンをかます

 

「お父さん。もう止めときましょう。今日は呑み過ぎですよ」

 

「てめえには関係ないだろうが!?やんのか?あああん?」

 

 

おっさん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!と俺は思った。

 

 

やばいおっさんに声をかけてしまった。後悔した。ただもう今更引けない。もうさっきまで座っていた席には戻れない。てかみたらもう別の人が座っている。どういう神経してんだてめぇ!

 

とりあえず今は目の前のおっさんをどうにかしないといけない。三度あのフレーズをかける。

 

「いや、お父さん。もう止めときましょう。今日は呑み過ぎですよ。女性も迷惑されてるみたいですし」

 

「だからなんだってんだよ!関係ねぇだろう!あ?ん…てめぇ口くせぇな

 

時間の概念が歪んだ。いや、そんなことはないんだけど歪んだ。車内の空気がめちゃくちゃ変な空気になった。

 

キムチだ。さっき食べたキムチのせいだ!俺は自分に言い聞かせる。

 

「気が強そうな美女が注意したおっさんはとてつもなくやばい異常者で、止めに入った男はとんでもなく口が臭かった件について」

 

一冊も売れそうにないラノベみたいだ。

 

結局、おっさんは俺が呼んできた駅員によって途中下車を余儀なくされたが、この事件はあまりにも俺の心に傷を負わせた。それでも、女性は降りる手前に改めてお礼を行ってくれたのが心の救いだった。素敵な人だった。

 

生半可な正義は痛い目を見る。とにかく電車で酒飲んでるやつはだいたいやばい。

 

気をつけろ!

 

 

fin

 

 

 

100円で買えるflutty poo.

日本の100円均一はすごい。

 

この手の番組は腐るほど見た。特になぜか日本に視察にやってきた外国人がその技術や工夫の凄さに「Cool Japan!!!!!!」とびっくり仰天するパターンが多い。

 

実際に、便利だなぁと思う商品もあるが、安いがゆえの粗悪品やなにこれ?みたいな商品だってある。そりゃ、昔に比べてたらだいぶ減ったが、今でもあるっちゃある。それでも、まぁ100円ごときで騒ぎ立てるのもね。ということで勉強代として受け取っておく人も多いと思う。

 

中にはクレームを入れる人もいるし、もう二度とこの店では買わない!なんて人もいて然るべきだと思うし、そういう意見を取り入れてきっと企業内でPDCAを回しているだろう。

 

PDCAとは、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)それぞれの頭文字を取った名称。継続的に行われている業務に対して、改善、効率化を図るために行われる。

 

 

他社競合との切磋琢磨する中で、我々消費者の目はどんどん肥えてきてるので、品物のレベルはドンドン上がっている。それは機能性だけではなく、可愛さや見栄えといったビジュアル要素のレベルが特に上っている。

 

 

そういった企業努力には本当に頭が上がらない。

 

でもそういう中で、こういう商品がある。

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「flutty poo.」

 

 

日本語でふわふわうんこ。

 

古来よりラインナップに佇む、バトミントンセットやフリスビー、ぺこぺこのボール、安っぽい作りのBB銃とか、光るおもちゃの剣とか、架空の魔法少女の杖に並んで、flutty pooである。

 

こういった使用用途不明なおもしろアイテムはいったい誰が買ってるかはまじでわかんないんだけど、なんか売れてるらしい。やっぱり子供かな…子供が買ってるんかな…

 

 

きっとこういう商品も、商品開発部があって、社内の会議で何度も議論を重ねて重ねた上で、「ふわふわにする?」とか「もっとリアルな方がいいんじゃないか?」とか「まきぐそより一本糞のほうがいいんじゃないか」とか話し合ってやっとのこさ決定したのがこれ「ふわふわうんこ」。

 

そしたらそれを社内稟議に通すために生産コストとか売上予想とか、初回生産量はどれくらいにするとか、それによって売り場でどれくらいのフェイズつくってるとか、パワポにまとめて、社内の稟議通して、上司のOKがでたら、役員会でプレゼンして、役員の反応がイマイチなんだけど、たまたま来てた会長が「とりあえず試作品見せてよ」とかいっちゃって試作品作るんですよね。

 

ほんで、いざ作ってもらうんだけど、全然ふわふわしてなくて、「こんなんじゃだめだ!!これじゃベチャベチャじゃねえかよ!!!」とか言って工場長と殴り合いの喧嘩とかして、やっとのこさできた試作品を再度役員会に持ち込むんですよね。

 

ほんで、会長が「これだけじゃおもしろくないのぉ、匂いなんかつけたらどうじゃ?そうじゃな、マフィンの匂いなんかどうじゃろう。和紙の大好物じゃ!はっはっはっ」とかすったもんだでOKもらって、そのまま匂いの研究に入って試行錯誤の上やっとできたうんこが完成!

 

そしたら、工場ではうんこの生産が始まって、ベルトコンベアの上を大量のうんこが流れて、ライン作業でできのいいうんことそうじゃないうんこをわける仕事するパートさんを雇ったり、なんだかんだで梱包までして、トラックに大量のうんこが積み込まれて各店舗には納品されるわけですよ。

 

わかりますか???この熱量!??

 

すべての商品にそれぞれのバックボーンがあって、それに関わるたくさんの人がいて、今日私達はこうやってのうのうと生きていられるんですよ!!!!!!!!!

 

 

 

聞こえてますか!?

 

細胞レベルでうんこ感じてますか!?

 

うんこ!!!届け!!!!俺のうんこ!!!!!!!!!!

 

 

君に届け!!!!!

 

 

トイレに貼ってある注意書きからわかる民度

今、街の中はトイレで溢れかえっているといっても過言ではない。

 

というか実際溢れかえっている。トイレ先進国だよ日本は。

 

駅構内、コンビニ、ショッピングモールから小さなスーパー、電気屋や飲食店と外出先にはもれなくトイレがあるおかげで今日も漏れなくてすんでいる。そうじゃなかったら多分漏らして死んでいる。

 

他にも、郊外の大型公園はもちろん近所の小さな公園ですら、トイレが設置している場合もある。中には絶望的に汚くて、飛行タイプの虫が飛び交ってとても緊張感のある空間を演出してくれるが、それでもトイレットペーパーがしっかり用意されていると誰かが管理してるんだな。と感心する。

 

でも都会のコンビニはトイレ貸してくれないじゃん!って思う方も居ると思いますが、最近はわりとかしてくれます。貸してくれない店舗は、設備上の問題があったり、店舗のオーナーさんの判断で独自に禁止してる場合があるそうです。この記事に書いてました。

 

biz-journal.jp

 

それらの事情を踏まえたとしても街にはやっぱり沢山トイレがあって私達は日常の中でおそらく無意識的に利用するトイレを選んでいます。有効便所倍率は1を上回っている状態がおそらくこれからもずっと続くでしょう。

 

 

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有効便所倍率とは、国民の数に対して使用できるトイレの数(またはニーズ、利用価値)がいくらあるかの数値です。1を上回っている場合は、トイレが足りている状態で、1を下回ってる場合は、トイレが足りていない状態を指します。

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野外音楽フェスや花火大会など人がたくさん集まる場合は、元々用意されている据え置きのトイレでは、有効便所倍率が1を下回ることが予想されるために、主催者側は仮設のトイレを用意します。これはその日の為に用意されたものであり、イベントが終わると撤去されます。

 

イベント会場では、女性トイレはどうしてもその性質上長蛇の列ができますが、男性トイレは回転率が高くそれほど混んでいる状態をみたことはありません。この場合は、男性トイレの有効便所倍率は1を上回っており、女性トイレは1を下回っていることがわかります。

 

男女ともに下回っている場合は、便所リテラシーが低い主催者であることがわかり、あまりの便意に耐えかねた人々が近隣の施設にトイレを借りに行ったりとイベント自体に大きな傷跡を残す可能性があります。場合によっては翌年の開催が危ぶまれることがあるので、イベントの内容だけではなく、トイレの数についても真剣に考えていただきたい。

 

トイレが少ないことが予見されるとおもらしの危険性がある。せっかく楽しみに来てるのに、トイレばっかりが気になる。気になりすぎてイベントに集中できず、むしろ意識したせいでそっちに気が散ってしまい、不完全燃焼で終わる。それはあまりにも危険過ぎる。

 

そういう危険を避けるためにも、トイレ行きたくなるからビールを呑み過ぎないように気をつけている!一回いったら止まらないんだよ!分かってますか!?俺の中の悪魔が囁くんだよ。

 

カイジくん、へたっぴさん…!膀胱の開放の仕方がわかってないねぇ…」

 

「ずいぶん・・・苦しそうじゃねえか・・・?あ・・・・・吐き出せっ…!そんなに苦しきゃ、吐き出せっ……!おまえが喰らってきた…ビールの........チューハイのっ!…日本酒の…膀胱…尿道…そのすべて…吐き出せっ…!」

 

「今なら出るっ…!今、振れば…出るっ…!今、振れば……おしっこが…!出るっ…!!!」

 

じょぼじょぼじょぼ~ぐにゃ~~

 

ふぅ。

 

つまりそれだけトイレが充実した環境の中では、よりキレイなトイレが選ばれて、汚いトイレはよほどじゃない限り使用を避けるということです。

 

数年、大阪メトロではトイレの改装工事が進んでおり、あのきっっっったない絶望的なトイレから「ようおこしトイレ」という名のもとにとんでもなくキレイなトイレに変わってます。

 

osaka-subway.com

 

駅のトイレはその利用者の多さからやはり清潔が好まれるようで、利用する側の人間もきれいなトイレだとちゃんと使おうという気持ちがでますよね。そして、それはトイレ内に貼られている注意書きにも影響を及ぼします。

 

「北風と太陽」という話はご存知でしょうか。

 

イソップ童話の一つで、ある時北風と太陽が勝負を行います。内容は、旅人のコートを脱がした方が勝ち。北風はそれはすごい風を吹かせてコートを剥ぎ取ろうとしますが、旅人は吹き飛ばされないようにコートを抑え阻止します。それをみた太陽は、その暖かさを活かして気温をドンドン上げて、旅人は自らコートを脱いでしまう。

 

古典的な話ではありますが、物事に対して強制的に行わせるのと、自発的に行動させるように促す対比を書いた物語です。

 

トイレにもその教訓が活かされており、トイレ内の掲示物にそれは現れています。

 

キレイなトイレの注意書きは「いつもキレイにご利用いただきありがとうございます。」といった利用者に対する肯定的な意見が多く、逆に汚いトイレには「トイレは、多くの方が使用する場所です。落書きやゴミ捨てなどといった迷惑行為はお止めください。見つけ次第、警察に通報させていただきます」といった否定的な意見が多いです。

 

これはトイレの新旧ではなく、清潔が行き届いているかに準じます。

 

実際みなさんもトイレに行く際は、注意深く観察していただきたいですが清潔なトイレは1日に何回もトイレ掃除が行われています。

 

なぜならどうしても汚れてしまうからです。

 

はぁ?何いってんだこのデコ助が?

 

お、落ち着いてくだあい。

 

 

清潔さとはイメージです。そして、日本人めちゃくちゃイメージに弱い。みんながやってることを真似るという性質から、世間から逸脱することを恐れます。

 

なので「いつもキレイにご利用いただきありがとうございます。」なんて言われた日には「お、今日は便器からはみ出さないように気をつけちゃおうかなっ」と思うわけです。

 

ただ、そうは思っても年季が入ってくるとどうしても外してしまうこともあるでしょう。なので、こまめに掃除をすることによって名実共に清潔なトイレを手に入れるわけです。

 

これが、めちゃくちゃ汚いトイレに「いつもキレイにご利用いただきありがとうございます。」って書かれていたら即Twitter上げられて「ふん、きたねぇトイレだ」とかいって炎上させられます。そうならないためにもすぐに洗浄してください。

 

こういった理由からトイレがきれいな店舗は圧倒的に選ばれやすいという答えが導き出されます。

 

「今日はお腹が痛くなりそうだ。もし買い物途中に便意に襲われた時、あの店でうんこするのは嫌だからあっちにいこう」

 

こういうことです。

 

トイレは最も汚れやすい場所なので、ぜひ経営者のみなさんにはトイレリテラシーを高く持っていただきたいものですね。

 

しかし、世の中にはとんでもない人間がいます。トイレにトイレットペーパー以外のものを流す人がいます。こういう人のせいでトイレが使用不可になり、パンツをぐっしょり涙で濡らすことになるので、絶対やらないでくれ。まじで。こういうやつな。

 

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ぜひ現行犯で逮捕してください。

 

 

fin

革命軍のリーダー

30歳を過ぎてから明らかに小便をする回数が増えた。

 

朝起きてまずションベン。朝飯を食べてションベン。通勤の最寄りの駅でもションベン。会社についてもとりあえずションベン。仕事中もションベン。暇さえあればションベン。仕事が終わって帰る前にションベン。家についてションベン。風呂前にションベン。飯食ってションベン。寝る前にもションベン。寝付きが悪くてとりあえずリセットするためにションベン。夜中に起きてションベン。

 

やばい、これだけで13ションベン。小便。

 

タバコを吸わない代わりに気分転換にションベンしたりするときもある。

 

小休憩ならぬ、小便休憩。ちゃんと小さく休んでる。

 

じゃあ休みの日はどうなんですか?と好奇心旺盛な皆様の質問に答えるならば、それはもうションベンです。とんでもないションベンです。


「Is this shouben?」

 

「That's right」

 

てなもんです。お手軽なもんすよ。ションベンなんかは。

なんせ身体から出てるわけですからね。天然のデトックスですわ。

 

ただ、回数が増えたと言ってもじゃあ別に10代、20代の頃はしてなかったんですか?と言われたらそりゃ「してましたよ!」としか答えざるおえないですよね。

 

ということは今になって突然回数が増えたのではなく、地層のようにいくつも小便の歴史が積み重なって今があることじゃないんですか?と闊達自在で聡明な皆様であればすでにその知能のリソースをはたいて更に次の質問を用意していたでしょう。

 

そういうことに対してもちろん黙秘するわけではなく、恥ずかしながらも小便の歴史をここに語ることで皆様の知的欲求に答えていこう。ただ、どうしてもこれを語る中でうんこについても一部触れなければならないことを事前にお伝えしたい。

 

それでも構わないぜ!という気のいいやつはそのまま読み勧めてほしい。そうじゃない方は昨日書いた花のコラムでも読んでくれ。

 

harugikuko.hatenablog.jp

*****

 

まずこの世に生まれる。とりあえず何かよくわからないが本能のゆくがままに朝昼晩関係なしに泣き叫び、時にはミルクや離乳食を与えてもらい、TPOも関係なしに糞尿を垂れ流す。生きてきた中で一番自由だった時期だ。ションベンサブスクリプションである。

 

ショベスクを手に入れた僕はどこでもいつでも関係なしだった。睡眠中でも、ベビーカーの上でもOK!!ご飯中や電車で移動中、向かいのホーム、路地裏の窓でもションベンし放題!サイコー♡でちゃううううう、しょんべんでちゃううう、いっぱいっいっぱいでちゃううううう♡♡♡♡♡♡♡である 。

 

そういう時期が終わり、徐々に自我を持ち始める。

 

今まで全てのコミュニケーションを「笑う」「泣く」の二択だけでなんとかやってきたが、さすがに「泣く」のカードが強すぎてこのままでは将来、街なかで突然泣きながらションベンを漏らすおじさんになってしまうことが明らかなので親から指導が入る。

 

そして衝撃的な事実を知る。

 

実はうんこもおしっこも専用の場所で足さなければならない。ことを

そしてトイレ以外で用を足す事恥ずかしい。ことを

リビングや寝室で垂れ流してたのはお前だけなんだって。ことを

親や親戚が俺のおしっこやうんこをみて喜んでくれる時期は終わった。ことを

 

 

 

嘘だろ?じゃあ今までの1年、2年はなんだったんだよ。なんでみんな俺のおしっことかうんこみて喜んでたんだよ。変態か?我が家は変態集団だったのか????

 

革命だ。すべての価値観が一夜にして変わってしまった。革命軍は新しいルールを提示してきた。それは一方的であまりにも残酷だった。なんでも、もう泣いても誰もおむつを変えてくれないらしい。じゃあどうやって糞尿を処理したら良いんだよ!!泣きそうだ。ムカつくから漏らしてやろうか、そんなことまで思ってしまう。

 

そして、なんでも、あの、家の中にある大人たちが不定期に吸い込まれていく謎の小部屋は、実はトイレと呼ばれる場所であることを告げられ、その利用を認められた。革命軍の基地じゃなかったのか

 

そしてその日から徹底的なトイレ指導がある。今まで自由にオムツの中に出していたが、今後それは一切許されず、トイレをしたい時は親に声をかけて一緒にトイレにいって目の前で用を足すことを命じられた。

 

さすがにいきなりのオムツをとりあげられることはなかった。完全にオムツ中毒になっていた俺にとって、オムツなしでは生きられない体になっていた。これもいつかはとりあげられるらしいが慈悲深いと思った。感謝だ。

 

そして厳しい訓練を耐え抜き、むしろオムツが濡れることに不快感を覚えるようになった俺は、ごく自然に今までもそうしていたかのようにションベンやうんこができるようになり、もう革命軍のリーダーの手を借りることはなかった。

 

 

「やりたいときにやる」そんなヤリチンみたいな生活とはおさらばだ!

 

糞尿の自由を失った俺は、むしろ前より自由だった。今まではオムツを他人に変えて貰う必要があったが、今はそんな必要がない。むしろあの時間は本当に無駄だったと思った。なので、そういう自由だ。

 

我慢を覚えた俺は、オムツからブリーフに履き替えて一人前の仲間入りを果たした。

 

寝ションベンはたまにしてしまったが、小学校に上がる頃にはそれもなくなっていた。ただ、小学校2年生くらいまでたまに朝起きたらパンツの中にうんこが転がってることがあった。あれは今でも不思議だなぁ。なんだったんだろう。

 

小学校では、授業中にトイレに行くことや、おしっことかうんことかそういうことをみんなの前で言ってはいけないことを指導される。なんでも立派なおとなになれないらしい。それでもうんこもおしっこもちんちんもとんでもなくおもしろワードなので、先生に隠れてそういうことで爆笑していた。

 

ただ、諸刃の剣な一面もあって、うんこは面白いけどそれはあくまでも第三者としてのうんこであり、自分自身の身体から出るあの黒い物体は一ミリも笑えない。そして、学校でうんこをすることは恥であり、見つかってしまうととんでもなくいじられる。

 

うんこマン呼ばわりされる。もう最悪だ。殺してくれ。そうなる。そうならないためにも「わたしはうんこなんてしません。」状態になり、全員が清純派アイドルとして生きていくことになる。

 

これが産まれてから中学に入る前までのおしっこ第一期のはなしである。

 

ついつい話が長くなってしまったがこれから話す第二期がトイレの回数が増えていく理由のなかでいちばん重要な時期だ。これは中学~大学まで続く。

 

第一期では、糞尿の自由から始まり、そして規制から自我・超自我エスが生まれた。そして、そのまま思春期へと突入する。

 

中学に入るとさすがにうんことかおしっことかで笑えなくなってくる。いや、まだまだ笑えるんだけどそういうことを口に出すこと自体が恥ずかしくなる。そう、思春期に突入したのだ。

 

思春期へと突入した場合、多くの人が「大人」という存在へ憧れを抱き、それは「他のやつを出し抜きたい」という欲求へと変わる。

 

人によっては例えばわけも分からず哲学書や神話といった小難しいものに手を出す者いれば、ブラックコーヒーに手を出すやつ、突然無口なクールキャラに路線変更するやつなど様々だ。小学生を見つけては、「ふっ、あんな時期俺もあったな~」なんてもんだ。

 

そしてその中でも一番顕著に現れるのが、休憩のとり方である。

今まで授業と授業の間にあった10分、20分の休憩は運動場に出ておにごっこやボール遊びに熱中してたはずの彼らは突然それをやめる。誰が言い出したわけでもないがわざわざ外に出て遊ぶやつはほぼいない。

 

 

そう休むことは大人なのである。大人は疲れてる。大人はいつもなにかに追われていて忙しい。だから休むことでその「忙しい」と「疲れている」を表現するのだ。

 

とはいえ、今まで休み時間に休むなんてことをしたことのない人は、どうしていいかわからない。いきなり有給を取る羽目になったサラリーマンぐらい途方に暮れてしまう。休み方がわからない、中学生はそんなに疲れないのだ。友達と教室で喋るだけでも良いが、じっとしてられない。次の授業の準備なんて1分もあれば充分だ。となるとやることがない。

 

そうなるとコゾって皆トイレに行く。本来休むということは体を動かさないだが、そこはあえて体を動かし、心身の健康を目指すためにトイレに行ってちんぽをだしてションベンをする。こうしてるだけで5分くらいは潰せることを覚えて、暇さえあればトイレに行くようになる。

 

突然だがこの先は男のションベンについてある程度知識がないとついていけないので、説明をしなければならない。

 

男のションベンは実に単純である。そもそも古代より狩猟を主としてた男性は、どこでもすぐに用が足せるように、陰茎が外に出ている。(※陰茎とは、ちんぽです)

 

トイレに入ると大概が立ちTOTOだかINAXだかの小便器がいくつか立ち並び、その後ろに大便専用の個室が設置されている。

 

チャックから陰茎(ちんぽ)を取り出し、膀胱にぐっと力を入れて、出始めたら力を抜き後は成り行きにまかせて出るだけだしてしっかりちんぽ(陰茎)を振る。この振る行為をおざなりにすると、男性器(ちんぽこ)をズボンに閉まった際に漏れたりする。

 

だが、そのチャックからおちんぽ(ペニス)を出すだけのお手軽さを考えれば、以下に簡易的で単純な行為であることが伺える。

 

ただ、このお手軽さから弱点もある。

 

本来、排泄行為は他人に見せるべきではない。だが、現状この世界のトイレの仕組み上、小便器同士は隣接し、特に区切られてない。一蘭のような簡易的な仕切りすらない。

 

トイレデビューを果たしてから約10年、うすうす気付いてはいたがどうやら家の外でトイレする場合、他人様と並んであの大した奥行きのない湾曲な小便器に陰茎を隠し、ションベンをしなければならないのだ。

 

我々は第一期の時に人様の前でおしっこやうんこを見られることは恥ずかしいことと教え込まれてるのです。なので、人様の前でおしっこすることは本来恥ずかしいことであり、並んで仲良く放尿の儀なんてとんでもない!ということです。

 

とはいえ、大便専用の個室でおしっこをすることはうんこと間違われる可能性があるためできません。なので、仕方なく皆の前でその陰部(おちんぽ)を出してトイレをするのですが、なかなか出ないのです。

 

そう、なんとあれほどお手軽で簡易的で利便性の高かったはずの行為が、人様の前であること、そしていうなれば後ろに立たれるだけで難易度がグーーんと上がってしまうのです。ウルトラC級です。

 

なので、できれば我慢しておしっこが出やすい状態でトイレに駆け込みその難易度を膀胱の膨らみにより下げたいところなのですが、そこは思春期です。

 

おとなになるためにはトイレにいかなければならない。諸行無常

 

まぁ、大人への階段を登るため小便に行く。こうした勘違いはすぐに終わります。ただ、それは習慣へと変化していき、気付けば我慢できるはずの尿意でさえも、行ける時にいっとこう。という考えに変わっていきます。

 

それに、トイレはなにもションベンをするだけではありません。友達や、他のクラスの生徒・時には上級生や先生など出会いの場でもあります。ちんぽむき出し社交場です。

 

先程も言いましたが膀胱の加減や、緊張によってションベンが出るまでの時間は人によって変動します。

 

「あ、先輩だ!挨拶しなきゃ」と思って後ろから「お疲れさまです!!」なんて大声をかけた日には先輩のおしっこが止まってしまったり、出そうだったものが引っ込んだりと逆に印象を下げてしまう可能性もあります。ションベンが途中で止まってしまうのは、すんんんごいストレスです。

 

最初は先輩も「俺おしっこしてる時話しかけられると止まるんだよね」と気さくにいってくれるでしょうが、それも長くは続きません。さすがに同級生と「◯◯先輩はおしっこ中に話しかけるの禁止」なんてバカな情報交換はできません。

 

なので、「トイレではでかい声を出さない」「おしっこ中にはなるべく声をかけない」「人によって出るペースは違うのでなかなか小便器が空かなくてもイライラしない」といったことを処世術として覚えていきます。

 

中には、とんでもない悪ガキ(ヤンキー)に出会う時もあります。彼らはションベン中に後ろから穴を蹴り上げるという悪質極まりない行為を行います。その時はもうションベンが飛び散ってしまい、ズボンや手が汚れたり、ションベンが止まったり場合によってはバランスを崩して小便器に顔をつけてしまうなど、大パニックをおこします。こういった行為は後ろに人がいるとションベンが出ないというトラウマを産むことになるので絶対やってはいけない。だがこういう経験は必ず活きます。

 

そういうことを知らずに社会人になってしまうと、スキンシップ代わりに上司の穴を蹴り上げてるなど奇天烈な行動をしてしまい嫌われてしまう可能性がある。できるやつは「挨拶する時はションベンが終わったタイミングにしよう」と常識的な行動ができるため自然と上司の評価も上がります。

 

たくさんの経験、出会い、そして失敗を繰り返し、トイレは日常に溶け込んでいくのです。  中・高・大学と進学を経てどこに出しても恥ずかしくないションベン戦士がこうして誕生するのである。

 

特に大学は授業の時間が90分と非常に長い。中・高は、といっても顔なじみの人間ばかりと顔を合わすことが多いが、大学は知らない人がガンガンいる。こういう環境の中では、かなり排尿ペースを鍛えることができる。大学は勉学ではなく、便学を学ぶ場所と言っても過言ではないだろう。

 

 ここまでが第二期だ。

 

第一期では、ションベンに対する価値観の変化。第二期では、ションベンと生活の密接。

 

そして第三期、社会人編では回帰がテーマとなる。

 

社会人になると、仕事や人間関係のストレスが今までの比じゃないくらいに跳ね上がる。楽しかったパーティーの場に、窓から野犬が入ってくるくらい一気に変わる。だめだこりゃ

 

日々のストレスを発散すべく、時にはお酒に溺れてみたり、ボルダリングに挑戦してみたり、電車内でめちゃくちゃでかい声で発狂してみたり、手を変え品を変えありとあらゆる手段を試してみるがどうも上手く行かない。

 

仕事と真正面から向き合いすぎて疲弊する。上手いこと手を抜いていかなければならないが、それができない。そういう人に限って、いきなり有給を取らされても何をしていいかわからず一日寝て過ごしてしまうのだ。

 

結局人といても疲れるから、一人の時間が欲しくなる。一人で考えたり、ちょっと心を休めたくなる。でも、いざそういう場面になったらどうしていいかわからない。誰しもが休みたいはずなのに、それができない。

 

休み方がわからない。なんと不幸なことだろう。

 

そうして疲弊した社会人たちは、ある種回帰的な考えにたどり着く。

 

記憶を一気にさかのぼり、中学生の思春期だったあの頃の自分に会いに行く。背伸びして、休むことがかっこいいとか思ってた自分にです。

 

あの頃はただトイレに行って時間をつぶしてたわけですが、今は時間をつぶすわけではなく休むためにトイレに行くのです。今まで使うことがなかった大便専用の個室に閉じこもり、いっときの安寧を過ごすのである。

 

こうして、厳しい社会人生活を過ごす中でションベン=休息という方程式ができあがるわけだ。

 

おわかりいただけたでしょうか。

なぜ30歳を過ぎてからションベンに行く回数が増えたか、その理由を。

 

僕らは休みたい。いや、休ませたい。心を、身体を、膀胱を。だからトイレに行くのだ。

 

今、街の中はトイレで溢れかえっています。なんと優しい世界だろう。僕は心からそう思います。

 

あの日あれほど恨んだ革命軍の基地は、今では安息の地に変わり、むしろ一番落ち着く場所にまでなりました。

 

革命前夜、僕は泣きながら漏らしたションベンの不快感を訴えていた。革命軍のリーダーがあの小部屋から出てきて、僕を優しく抱きかかえてくれた。新しいおむつを履いてご満悦な表情を浮かべる僕。

 

いつか自分が革命軍のリーダーになるなんて知る由もない。

 

以上、革命軍の基地よりお伝えしました。

 

 

fin

 

菜の花が咲き誇る場所で

春は花の季節だ。寒い冬の終わりを告げるように、春は暖かい風と色彩豊かな花々と共にやってくる。

 

ピカピカのランドセルを背負う小学生、少し大きめの学ランを着た学生、スーツが馴染んでない新社会人、春風は心地よく人と人の間をすり抜けていく。彼らの素晴らしい未来を祝福するかのように今日も桜の花びらを舞い上げながら。

 

世間がフレッシュな空気に包まれる中、今日もたくさんの憂鬱を背負って俺は駅に向かって歩いていた。

 

春の加護を受けてから何年経っただろう。

 

彼らを見て、一瞬だけ背筋が伸びてたとしてもすぐに元に戻ってしまう。スーツが馴染んだ分だけ、失ったものは多かった。それでも今年の俺は少しだけ心が軽かった。

 

春は花の季節だ。

 

駅近くに、桜の木が植えられている。さしずめ桜の通り抜けとでも言おうか。桜の通り抜けは、この春の僅かな間だけ俺の心に少しの余裕を癒やしを与えてくれる。

 

その道の終わりには、とても小さな畑がある。「ある」ということだけで対して気にも留めてなかった。いつも何が植えられているが注意深く見たことは一度もなかった。しかし、今年はとてもきれいな菜の花が植えられていた。

 

黄色く染めたその肌は、桜に比べると多少派手に感じるが、2つのコントラストは春の訪れを強く意識させ、私の心を豊かにした。

 

桜が散ってしまった後も、菜の花はイキイキと咲き誇りいつも私に元気をくれた。

 

菜の花の花言葉は「小さな幸せ」。まさに今の俺にぴったりだ。

 

その日は会社の飲み会だった。同僚と二軒目に行き気付けば終電を逃してしまった。行くあてもなく夜の街をさまよい、結局カラオケにたどり着いた。

 

朝までなんとか歌いきり、始発を目指して外へ。どうやら夜の間に大雨が振ったらしく、アスファルトのくぼみにできた大きな水たまりがそれを証明していた。

 

電車の中で、菜の花のことを考えていた。

 

見る限り相当な量の雨が降った。もしかしたら、この雨で花びらを落としているかもしれない。心配になった。もし君がいなくなったら、月曜日からどうやって生きていったら良いんだ。

 

地元の駅にたどり着き、改札を抜け、桜の通り抜けへ急ぐ。

 

畑に近付くにつれ、足取りは更に加速していく。

 

菜の花は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには立派なネギが植えられていた。

 

菜の花は見る影もなく、青々としたネギが天高くそそり立っていた。

 

あまりの衝撃に爆笑してしまった。

 

何度も言うが、春は花の季節だ。

 

ネギの花言葉は「笑顔」。まさに今の俺にぴったりだった。

 

 

fin