にっきもどき。

ちんぽから社会問題まで広く扱いますが日記らしい日記はひとつもないらしいです。現場からは以上です。

俺とチューハイピラミッドと田島さんのお母さん

終電で地元の駅にたどり着き、コンビニでお茶と酎ハイとあたりめを買った。

 

家までの道中、ハチャメチャに吐いてる大学生を発見した。いったいどういう呑み方をしたらこうなるんだろうととても冷めた目で見てしまうが、自分にも覚えがあるのでけしてバカにはできない。

 

そういえば、飲み会の場で田酔してゲロを吐くことがなくなった。飲み会の前は必ずうこんを呑むし、ベロベロに酔っ払うことはあってもヤバそうになったらチェイサーを挟んだり、どうしても呑めない時は酒を残すことさえできるようになった。

 

出された酒は呑み干すことが礼儀だ。

 

誰が言ったかわからないが、そういう言葉を聞いたことがある。

 

特に酒を覚え始めた若者達は、潜在的にそういう意識を持っている。きっと彼もそういう漠然とした感覚の中で、酒を飲み続けて今に至るのだろう。

 

酒豪。

 

誰もが聞いたことのある言葉だ。

 

彼らはいくら呑んでも潰れることがなく、豪快に笑い、その場の酒が全てなくなるまで呑み続ける。こう書くとオークロードみたいだが、酒に強いことに対して憧れたことはみな少なからずあるだろう。

 

お酒を呑み始めた時は、自分は酒豪かもしれないと勘違いし、調子に乗ってがんがん呑んで気付いたら田酔している。なんてことは良くある話である。

 

そして自分が酒豪ではなかった現実を知り、ガッカリする。それからは自分に合うお酒を探したり、己の力量を認め自分のペースを見つけたりと楽しくお酒と向き合っていく方向にシフトチェンジしていく。

  

諦めの悪い人たちは、違うと分かっていても何度も無茶な呑み方を続ける。そして、いつか諦めがついた時、それの情熱は別のベクトルで発揮される。

 

そう、彼らはその挑戦の歴史を武勇伝として、自分いかに酒に強いか、どういう酒を呑んだことがあるか、そんな誰も興味がないであろうことを飲み会の場、バイト、仕事の休憩時間など至るところで語り始めるのだ。

 

最初は酒の量自慢タイプ

 

「俺はビールなら10杯は飲めるぜ」

 

「え?チューハイってジュースだよね?あんなんで酔わないし!」

 

彼らはとにかく量が基本だ。飲み会の場において酒の流通こそが全てであり、ガンガン呑むし、ガンガン呑ませてくる。こういうやつらは、全員もれなく酒武勇伝を持っていて、その大半が「ピッチャーでビール一気飲みした」である。もっといい店行って酒呑め。

 

なかには「あーしさ~、酒ぜんぜん呑めないからいつもな、呑んでもらってんねん。これでこの前も後輩くんめっちゃ吐いてた。笑」みたいな他人に呑ませた自慢をしてくるギャルもいるらしく、こいつは全くもってけしからんという若輩者を叱咤したい気持ちと同時にそんなギャルが居るならぜひお手合わせしたいという正直な気持ちがわきましして、僕はめっちゃエロいと思いました。

 

次にアルコール度数の強さ自慢タイプ。

 

「日本酒ハマっててさ~、この前も気付いたら一人で一瓶空けちゃったよ。」

 

ハイボールはちょっとなー、やっぱ飲むならロックに限るよ」

 

「炭酸は呑めないんだ。だからワインが好きで、でも全然酔わないんだよね(笑)」

 

彼らにとってアルコール度数の高さがステータスであり、いかに強い酒を平気な顔をして呑んだかがポイントである。こういうタイプは、日本酒と刺し身、ウィスキーロックならナッツ、赤ワインなら肉料理など正統派へ進化していく事が多く、ただの酒好きになってくれたらいいのだが、なぜか中には「強い酒めっちゃ呑める俺かっけー!」と呑んだ量を自慢する種族が紛れ込み業界全体の足を引っ張ってる。こういう奴に限って酒の味がわからないから、ウィスキーロック軟骨からあげトリップしたり、突然日本酒一気飲みとかしてマーライオンと化してるやつが多い。熱燗で火傷しとけ。

 

最後は、飲酒年齢自慢タイプ。これはちょっと色が変わるが、たまにこういう話になる時がある。言ったモン勝ちの世界の最もたちの悪い無法地帯である。

 

「高校んときに、友達んちで集まって酒盛りしてた」

 

「地元の祭で中学校から呑まされてた。」

 

「おとんが酒飲みで、哺乳瓶に日本酒が入ってた」

 

他の武勇伝と違って、この飲酒年齢だけはなぜか戦い事が多い。なぜなら実際に呑む必要がないからだ。他の武勇伝は、じゃあ呑みましょうよとなってしまえば大変なことになるがこれが過去の話をしてるだけなので、実際確認の仕様がない為、言ったもんがちだ。

 

勝敗は初回飲酒年齢の若さと飲酒量で決る。大体が高校生からさかのぼっていき、最終的には哺乳瓶に日本酒という両津勘吉みたいなエピソードまで飛び出す時がある。

 

この争いは、何も20歳になってから行われるわけではなく、むしろ未成年、特に高校生の時期に本領発揮する。未成年なのに酒を呑んだことがある。それだけで少し大人、いやむしろ悪になった気分になる。多感な時期である高校生達は、教室や部室、修学旅行の寝る前にこういう話を繰り広げて盛り上がる。

 

大学生になると自然と周りに酒が入ってくるので、過去の飲酒自慢より今の飲酒自慢にシフトするので、こういった話は激減していく。

 

そして、そうやって無理して酒を飲みまくってしまうと、今目の前にいる彼みたいにハチャメチャに吐くことになる。

 

そんな彼の身を案じながら、僕は高校1年生の秋の出来事を思い出していた。そう、これは飲酒自慢が自慢だけで終わらなかった話である。

 

俺の通っていた高校はとんでもないバカ高校で、それなのに校則がめちゃくちゃ厳しい学校で疑わしきは全て罰するような校風だった。

 

入学して最初に行うのは1泊2日の校外学習で、日中は山登り、残りは全体ホームルームと題し、ひたすら先生の話を聞くだけだ。これのためにわざわざ大阪から滋賀までバスで行った。

 

全体ホームルームでは、「お前達みたいなとんでもないバカに未来はないからせめて人並みに真面目に過ごしてちゃんと卒業しろ」「そして何処にいっても素行不良を疑われないように厳しく接するからな」といった内容だった。

 

学校側も毎年とんでもないバカどもが大勢入ってくるからなんとかおとなしくさせいようと必死なのだろう。山登りは、おそらく我々の体力を奪いおとなしくさせるためだ。極めつけに前年の生徒たちが異常にできが悪く各クラスには留年生が3~4人いる体たらくだった。彼らが悪知恵を働かせて、なにかしでかさないためにも例年よりかなり厳しいプログラムだったらしい。それでも数人は夜部屋を飛び出して即停学処分を食らっていた。

 

規則が厳しければ厳しいほど反発は産まれる。真面目に過ごせば過ごすほど、心の奥底にある「」への憧れは膨れ上がっていた。教師たちの目を盗み、酒やたばこに実際に手を染めるものもいれば、真偽のわからない武勇伝を語る者、それを聞いて興奮を覚える者様々だった。そして話題の大半は、セックスといったわかりやすいものだった。

 

俺はバカ高校ではどうやら賢い方に分類されたようで、クラスでは成績優秀な良識人というポジションだった。実際、酒も呑んだことないし、セックスなんてとんでもない、彼女だっていたことがない。

 

なので、そういう話を聞くたびに正直ドキドキした。いつ自分にそういう話が振られるか、そして振られた時はいかになめられないかを考えていた。 一学期はまだクラスの人間関係もそれほど出来上がっておらずなんとかのらりくらりと逃げ切ったが、夏休みに入ると抑圧された分一気に開放されることが考えられる。

 

俺もなにかしなければならない!!!と焦ったが、結局なにもないまま夏休みは終わった。強いて言うなら門限を破ってしまい、お母さんにめちゃくちゃ怒られてたくらいだ。

 

予想通り夏休み明けはすごかった。教室には金髪で登校してきたものや、休み中の酒やたばこ自慢、なぜか私服で着てるもの、留年生やクラスにいたヤンキーたちが軒並み退学してたり、なんでもありだった。全校朝会では、生活指導の先生による厳しいチェックが始まり、また数人が早々に反省文や停学送りとなっていた。

 

夏休み中にお母さんにめちゃくちゃ怒られてた俺は、先生には叱られることはなくまた平穏な日々を過ごすことになる。

 

 そして文化祭が終わって数日が立った頃、運命の日が訪れる。

 

放課後、教室で友達と喋っていたらクラスの女子で文化祭の中心人物だった田島さんが文化祭の打ち上げしようという話を持ちかけてきた。最初はクラス全員で近くのファミレスに行こうという話だったが、結局そんなに人が集まらずいつもの仲のいいメンバーだけで執り行われることになった。

 

俺は田島さんのことが好きだった。どこが好きだったかは今となっては全く覚えてないが、どうせクラスで目立ってたとかそういう理由だ。

 

夜になるとメールが届いた。当時はスマホなんてものはなく、メールのTOにアドレスをたくさんいれて一斉送信することで連絡を取り合っていた。なので、まだ打ってる途中で他の誰かから返信が着たり、送信した途端に別の誰かから返事が来て話が行き違うなどよくあることだった。

 

そして、なぜかよくわからないが田島さんの家で酒盛りする流れになった。

 

メール上では、自称酒豪たちの酒自慢がReの数だけ繰り広げられていく。酒毎日飲んでると噛ますやつから、夏休みに一升瓶空けたなど言ったもんがちに世界が本当に今目の前で繰り広げられている。

 

これは由々しき事態だった。

 

とんでもないことに巻き込まれている。

 

なぜこうなったか。頭の中のリソースはパンパンで、処理が全く追いつかなかった。ドキドキが止まらなかったし、これは何にドキドキしてるのかもわからなかった。好きな子の家に泊まるという行為に対してなのか、クラスのメンバーと飲酒するという罪の意識に対してなのか。ただ、俺もとうとう悪のエピソードができる!!!そう興奮を覚えた。

 

恋と悪、この2つが合わさった時、それは青春時代に置いて強烈なインパクトを残すと相場が決まってる。頭も心も処理が追いつかないまま参加の意思をひとまず表明し、数日を過ごすことになった。

 

そして当日、学校が終わり一旦家に帰って身支度を済ませてから友達と一緒に彼女の家に向かった。

 

彼女の家は、俺の住む市の隣の市で、国道を越え彼女の家に近づくにつれ、街灯は少なくなり、アスファルトから砂利道へと変わっていった。月明かりと自転車のライトだけを頼りに道を進むと田んぼだらけの中にぽつんと一軒家が建っていた。

 

家の前にはすでに何台か自転車が泊まっており、どうやら我々が一番遅かったようで、到着と同時に会は開かれた。

 

全く心の準備ができてないまま生まれてはじめての飲み会はスタートした。

 

そして、そこにはとんでもない量の酒がそこに用意されていた。集まったクラスメイトが9人くらいで、一人あたり5~6本くらいあったと思う。今思えばどうやってこんなに大量の酒を用意したのか全く理解できなかった。

 

そしてなぜかつまみはなかった。

 

つまみのない飲み会はこれが最初で最後だった。そしてその会は見事に地獄と化した。酒経験がまったくないのは俺と含めて3人でそれ以外は自称酒経験者の酒豪だった。

 

経験者たちは、我々に強く酒を呑ませることはなくむしろ自分たちでその大量のチューハイを処理し始めたのだ。彼らも普段から酒を呑んでいるわけはなくきっと親族やお祭りなど大人がいる場で「まぁ今日くらいは」といって酒を呑んだ程度だろう。まだ自分が酒豪かどうかもわかっていない時だ。そんな時に、同世代の人間だけで集まって酒盛りなど格好の場だ。彼ら・彼女らの飽くなき挑戦が始まったのだ。

 

乾杯!と同時にその手にした氷結レモンを一気に呑み干す。

 

とんでもない呑み方だ!!!

 

そして呑み干したものはまた新しい酒を選び、乾杯し焼酎ハイボールドライを一気に呑み干す。

 

何が起きてるんだ!!!!!

 

そして田島さんも一気してる。

 

なんて女だ!!!!!

 

そんな経験者たちのとんでもない洗礼を受けながら、未経験者の我々は一口ずつちびりと呑み、舌の上に残る苦みに酒に対する期待を裏切られていた。

そして酔うということがまだよくわからない。もっと酔うという感覚はわかりやすいと思っていた。痛覚や快感に近い何かがあるかと思っていたがそうではなかった。徐々に思考がまとまらなくなっていき、なんだか気が大きくなる。そういう感覚を理解するにはまだ若すぎた。

 

結局気付けば一人5~6本はあったはずの酎ハイたちはその質量を若き酒豪たちに奪われ、開始1時間で半分以上が空になっていた。

 

そして、誰が始めたのか缶を高く積み上げる遊びを始めたのだ。最初は自分が呑んだ缶を積んでいただけの彼らだったが、気付けばそれぞれの缶を持ち寄って巨大なピラミッドを作り始めた。

 

後少しで完成というとことで空の空き缶が足りなかった。酒豪たちもさすがにペースを落とし始めており、さすがに一気飲みの応酬も終わり、ゆっくり呑んでは積むというパターンに入っていた。つまみはない。

 

他の未経験者はすでに酔っちゃったモードに入っており、経験者がその酒を回収していく。空になった缶は、ピラミッドの上部に設置されあと後一本で完成だと盛り上がる。

 

なんて下品なピラミッドだ。知性も歴史も感じさせない。とぼんやりする頭で考えていた時異変に気づいた。

 

この場でまだ酒を空けてないのは俺だけだ…

 

そして「俺も早くこの一本を空けなければならない」本能的にそう思った。

 

出された酒は呑み干すことが礼儀だ。頭の中で誰かが囁いた。

 

酒はまだ半分以上残ってる。氷結レモンを持つ手が震える。

 

俺はいったいなにをやってるんだろう。なんだか悪いことをしてる気分が高まっていき急に不安感が増してきた。そして、なんだこれは。というか今更だがこの家はどうなってるんだ??娘が家で友達呼んで酒盛りしてるけど大丈夫か????結構騒いでるけど大丈夫なのか??いろんな感情に呑まれている中、酒を持つ手に力が入る。

 

「行くか。」そうつぶやき、飲み干そうした時だった。

 

突然ドアが開き、その風圧によりピラミッドが大きな音を立てて突然崩れ去った。

 

そして立て続けに大きな声が響く。

 

「あなたたちなにしてるの!!!!!!」

 

 田島さんのお母さんが入ってきた。そしてめちゃくちゃ怒ってる。その怒りは全て田島さんだけの向けられ、一瞬のうちに連れ去られてしまった。嵐が去った後のように部屋の中には静まり返った。

 

そしてドア越しに声が聞こえてくる。

 

「◎$♪×△¥○&?#$!!!!」

 

田島さん、お母さんにめちゃくちゃ怒られてる

 

 

しばらくすると彼女は戻ってきた。たっぷり絞られた彼女は何やら弁明し始めた。どうやら、田島さんは今日酒盛りをしてることを言ってなかったらしい。そりゃそうだ。高校生の娘が友達と酒盛りしますなんて口が裂けても言えないよな。

 

ということは今日この会はなんなんだ?もしバレなかったとして田島さんはこの大量の空き缶をどう処理するつもりだったんだ??なんてことを考えていると一人が気持ち悪さを訴え吐き始めた。

 

地獄の第二ステージだ!!!!!!

 

ゲロはゲロを呼び、また一人と酒豪への道が閉ざされた。しばらくは、代わる代わるにトレイに行ってはゲロを吐き、水を飲むを繰り返す。なんだったんだ。さっきまでの一気は、勢いは。

 

ピラミッドの崩壊と共に、彼らは衰退の道を辿ることになった。

 

打ち止めになった彼らはそのままゆっくりと寝落ちし始め、事態が落ち着いたことを確認すると、田島さんが夜風に当たりたいと言い出したので、生きてる数名で外に行くことにした。

 

自転車に乗って近くのコンビニに行くことになった。田島さんはなぜか僕の荷台に乗って僕らは二人乗りで道中を過ごした。

 

さっきはとんでもない女だと思ったけど、お母さんに叱られて少し凹んでいる彼女を見てると少し慰めてあげたい気持ちにもなった。といっても何ができるわけでもなく、夜の風に当たりながらのんびりと田舎道を進んでいく。

 

「もーお母さん最悪。たぶん空き缶でピラミッド作ってたのを見て怒ったんだと思うねん。」

 

なんだか的はずれなことをいう田島さん。

 

「いつもは怒らへんから…あんなんでは…」

 

それはほんまか?と思ったが親が子を心配する気持ちはわかる。

俺も門限を破ってお母さんにめちゃくちゃ怒られてたことを思い出した。

 

「まぁお母さんもさ、田島さんのことが心配なんだよ。可愛い娘なんだからさ

 

少し大人っぽいことが言いたかった。それはお酒のせいにできるほど呑んでもないけど、少し気取ってそういった。今の俺にはこれでせいいっぱいだ。少し冷える夜風が少し火照った体はちょうどいい。それでも手先は少し冷える。僕の服を掴む田島さんの手が強くなっていく。僕らは今青春のど真ん中に居る。そして田島さんの口が開く。どんな言葉を俺にくれるんだい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにいってんじゃ、おまえぃ!そんなんいらんねん!!!!」

 

田島さんめちゃくちゃ怒ってる。ブチギレてる。とんでもなく汚い言葉でめちゃくちゃ怒ってる

 

さっきまでお母さんにめちゃくちゃ怒られてた田島さんが、この夏お母さんにめちゃくちゃ怒られてた僕にめちゃくちゃ怒ってる。

 

とんでもない女だ!

 

怒りのピラミッドの底辺にいる僕は、「え、あの、え。ごめん」とどもることしかできず、無言のままコンビニにたどりついた。コンビニではお茶人数分となぜかあたりめを購入して、またみんなで家まで帰った。田島さんは別の誰かの後ろに乗っていたので、帰りは一人だった。

 

家の残った組がすでに部屋の片付けをしてくれていて、僕のお酒は誰かが呑んだのか捨てたのかとにかくもうなくなっていた。お茶を飲んで一息ついて、雑魚寝を始めた。

 

俺の人生最初の最初の飲み会はそうやって幕を閉じた。

 

 

目の前でゲロを吐き崩れ落ちている大学生を見ながら僕はそんなことを思い出していた。あの日、自分が酒豪ではないことを知った彼らは今どうしてるんだろう。

 

今では酒を飲むことは日常であの日の気持ちには戻れない。もしあの時、共感してあげたらどうなってたんだろう。なんていうのが正解だったんだろう。戻れない過去に自問自答する。でも結局、恋も悪いこともなんにも知らずに憧れてる時が一番幸せだったのかもしれないな。

 

今日はあの日できなかった缶チューハイとつまみで乾杯しよう。

 

僕は大学生の隣にそっとお茶を置いてその場を後にした。 

 

fin

 

 

サイバーエロリストたちは今宵も闇を逝く

こんばんわ。はるぎくこです。

 

今日は日記というかSNSしてて思ったことを書きます。

 

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FacebookTwitterInstagram

 

ここ数年でSNSは私達の生活の中にそれは自然に溶け込んだ。コーヒーの中に入れたミルクのように混ざってとけて今それを取り上げることはほぼ不可能といってもいいほどに浸透している。

 

それは、仲間内で楽しむために利用したり、承認欲求を満たすツールだったり、金儲けの為、出会いの場だったりとその手軽さから様々な手段で使われている。裏垢を作って普段言えない愚痴や不満を書いている人も多いのではないだろうか。

 

そう、ここはインターネット。世界で一番自由な場所だ。

 

インターネット上にはとんでもないやつがたくさんいる。5ちゃんねるなどの匿名掲示板では、今日もネット弁慶たちが熱いレスバトルを繰り広げている。

 

こういう場所であれば誰に迷惑を掛けるわけではないので問題ないのだが、最近は芸能人が自己のプロモーションの場としてSNSアカウントを取得することが多い。

 

SNS慣れしていない人間だと、あまりにも見え透いたアフィリエイトや、問題発言をしてそのまま炎上してしまったり(それを逆手に取った炎上商法もあるが)、内容には注意とセンスが問われるが、こういった芸能人のSNSは我々にとてつもない親近感をもたらした。

 

InstagramTwitterなどは、特にその典型的な場であり、リプライやコメント、場合によってはDMを飛ばして芸能人とやりとりをすることができる。※特に返事がないことがほとんどではあるが、中には返信してくれる人もいる。そして炎上する人もいる。

 

SNSは準匿名性であり、身分を隠すのも隠さないのも個人の自由だ。そして、これがインターネット上に湧く変人たちを生み出すきっかけともなっている。

 

みなさんは「きゃりーぱみゅぱみゅ」という人物をご存知だろうか。

 

どういう人物か知らなくても名前だけは知ってるという人も多いだろう。

 

中田ヤスタカプロデュース。18歳で原宿のストリートからデビューした彼女は、ファッション、音楽、時にはバラエティのMCと多種多様な顔を持っている。あくまでもアイドルではないことを公言してるが、そこまで彼女に興味がない人はアイドルだと思ってた人も多いのではなかろうか。

 

今こそ当たり前のように「きゃりーぱみゅぱみゅ」という名前は受け入れられているが、よくよく考えるとやっぱ変だな。掴めそうで掴めない、遠くに浮かぶ雲が本当は甘いわたあめだった、そういうファンタジーな世界を演出する彼女。

  

 

じゃあそんな彼女はInstagramTwitterでどういう投稿をしてるかというと

 

「今日は、うさぎさんと楽しいお茶会っ♪途中でトランプ兵士がやってきて😩」

「うふふ~今日は森でくまさんと相撲とったよっ★どすこいっ」

 

みたいなパッパカパーみたいな投稿ではなく、ライブ前後に衣装画像を上げたり、タイアップしたCMの宣伝、新曲の告知など、普通にプロモーションとして活用してる。

 

時には友達とカラオケの一コマや、曲に合わせてふざけて踊った動画、スタイリストさんに髪切ってもらった、ネイル新しくしたよとか普通に日常投稿として楽しんで使ってたり、こういうのを見てるとやっぱ同じ人間なんだなとわかり、本質的な親近感が湧いたりする。

 

 

 じゃあ彼女のInstagramTwitterにはどういうリプライやコメントがとんでいるかと言うと内容の80%以上が「かわいい~」とか「◯◯似合ってる~」などの肯定的なコメントである。20%の内、10%は「ぶす!似合ってるかと思ってるんかよ」などの悪口で、5%は「これオススメです!10キロ痩せました」などの突然のアフィリエイトコメントである。

 

では、残りの5%はなにかというと、インターネット場を根城とし、お下劣コメントを残していく神出鬼没の「サイバーエロリスト」たちだ。

 

彼らの多くは、芸能人(女性)のコメント欄に性的なコメントを残すことを生業としている。まずそういうコメントをして返事が来ることなど絶対ないのだが、コメントを見られることに興奮を覚えるのかもしれない。

 

そして彼らの多くは、フォロワー0か一桁台であり、そういう卑猥なコメントを残す人たちとつながってるケースが多い。もしくは、リア友内との悪ふざけかもしれない。

 

 とにかく匿名性を上手く利用してエロリストたちは自由気ままなコメントを繰り出す。

 

しかし、中にはアカウントに飛ぶと「自然が好きで、いろんな場所に行ってみたいです。人生楽しくがモットーで、色んな人と出会ってみたいです」とか書いてて普通にInstagramをやってるアカウントがあったりする。

 

どの面下げて「◯っぱい大きいね♡」とか書いてるのかはまじで謎だが、きっとこういう人たちは「人にどう見られるかではなく、自分がどう楽しむか」という考えのもと生きているのだろう。

 

自己愛を高めて客観性を薄めることは、精神安定の基本であり、彼らは進化した生き物なのかもしれない、

 

ここでエロリストたちのコメントを抜粋したい気持ちはあるが、ぜひ皆さんの手でそのコメントを探してほしい。きゃりーぱみゅぱみゅのコメント欄にはとんでもない変態たちが紛れ込んでいる。

 

そして、あなたの周りにも裏垢、いやエロ垢が紛れ込んでいるかもしれない。

 

fin

梅田の夜は長いから

「23:50発 大阪メトロ御堂筋線なかもず行」

 

この電車に乗れば家まで帰られる。正確にはなんばで降りて「00:10発 南海高野線区間急行 三日市町行」に乗ればの話だが。

 

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ここは大阪梅田。大阪の第一セクターとも言われ、地下は迷宮、ダンジョンと比喩され地方からやってきた何人ものかっぺ共を地獄に葬ってきた。

 

大阪駅前の工事はあっちこっちと場所を変え、永遠に続くのではないかと錯覚させるほどに終点が見えない。しかし、着々とその成果は出ており、街全体は見違えるほどに綺麗になっていた。

 

大阪駅の上階にある時空の広場から眺むグランフロント大阪なんかは、東京への敵対心を感じさせるセンセーショナルな創りになっている。そこから見えるうめきた広場と呼ばれるエリアにはビリケンさんもくいだおれ人形もいなくて、なんかよくわからないでっかいくまの人形が空を見上げて座っていたりする。

 

ヘップ前は「渋谷の109」、茶屋町は「青山・表参道」、北新地は「新宿ゴールデン街」、東通りは「赤羽」、中崎町は「下北沢」、そして大阪駅周辺は「有楽町」。別にそう呼ばれているわけではないが、少し歩くだけで街はその色を一瞬にして変えてしまう、そういう街だ。

 

こうしたルールなしの無制限デスマッチみたいな街づくりには大阪に住む人々の民族性が 大きく影響している。

 

それは「東京VS大阪」の歴史である。

 

子供の頃からずっとこの6文字を見て育った。一体誰が何と戦っているのかはわからないが、その虚像は常に東京に対するライバル心を燃やし、実態のない使命感を背負い大阪府民は疑いもせずに戦ってきたのだ。それは実際阪神対巨人であったり、西の高校生名探偵VS東の高校生名探偵だったり…手を替え品を替え様々なメディアで比喩されてきた。

 

その結果が、大阪を、いや梅田をこれほどきれいでごちゃごちゃした街に作り変えてしまった。まるで好きなものだけ集めた食べ物のように。

 

そうか、街全体が大きなお好み焼きなのだ。豚肉も、イカも、エビも、キムチ・チーズ・ネギも…なんでもありのミックスモダンな街なんだ。なんなら福島も天満も、淀川を越えて西中島も新大阪も入れても良いかもしれない。

 

だがしかし、ここに心斎橋や難波は絶対に入らない。

 

なぜなら、大阪の本当の戦いは別にあるのだ。東京VS大阪はあくまでもカモフラージュに過ぎないからだ。

 

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華の金曜日。俺はそんなキタと呼ばれる第一セクターで呑んでいた。

 

時計が23:00を回ると少しずつだが飲み屋から人が居なくなっていく。別に神隠しにあったわけでもないし、4つ集まって消えたわけでもない。終電が近づいてきたからだ。

 

希望と喝采、自由と開放、田酔とゲロ。先程までたくさんの人で活気づいていた店内が嘘のように、静かになっていく。また一組、会計を済まして退場していく客を見送ると、店員はテーブルの上を片付けてせっせと拭き掃除を始める。

 

 

「もうそろそろ僕たちも帰りましょう~」

 

後輩Aが宴の終焉を告げる。

 

「いや、カラオケ行きましょうよ!」

 

後輩Bが冗談交じりに提案する。

 

「うるせぇーお前らはまだ帰れんだろうがー」

 

 俺はもう水の味しかしないレモン酎ハイを飲みながら声を張り上げた。もう飲めないわけじゃないし、もう遊べないわけじゃない。いや、むしろ飲み足りないし、遊び足りない。でも、俺は帰らなければならない。終電があるからだ。

 

現在の時刻23:15。ラストオーダーはもうずっと前に終わっている。カラオケに行くなり、酒を求めて別の飲み屋に行くなりいくらでも手段はあったが時を逃した我々はまだ動けずにした。会計を済まして駅まで歩くとしても5分もあれば充分だろう。

 

ちなみにこいつらはここから歩いて帰れる距離に住んでいるので終電という概念はない。なのでこの場において何をするにも決定権があるのは俺にある。こういう場面は一度となく経験してきた。そして幾度となく圧倒的な強い意志で終電を選んだ。

 

ただ、最近は違う。3回に1回は終電を逃してしまい、朝まで過ごすことが増えた。なんていうんだろう、どこか寂しいのだ。30歳を過ぎた辺りから、活気あふれるきらびやかな街から離れることが、最終電車に揺られる時間が、寝静まった実家に帰るのが、寂しくてたまらないんだ。

 

終電まであと35分。時間は状況によって立体的で複雑な味わいを与える。オリンピック100m走決勝戦では1秒という僅かな時間は選手にとって命よりも重く、電車に1時間揺られるとしてそれが恋人に会いに行くのと謝罪しに行くのでは雲泥の差だし、漏れそうな時のトイレの待ち時間は永遠より長い。

 

そして今から過ごす35分間は毒にも薬にもならないデッドスペースみたいなもんだ。

 

もし俺もこの辺に住んでいたらなぁ。カラオケに行くにしても飲みに行くにしても1時か2時には解散すればいい。夢のようだ。全員がWin-Winだ。

 

でもそれができない。そんな時間までいたら漫喫も、カプセルホテルもどこも満室だ。それに予算にも限りがある。何度も何度もこいつらの家にお世話になるわけにもいかない。

 

なら早く引っ越せば良いんだが、それがなかなかできない。

 

それはなぜか。

 

あなたは「キタVSミナミ」という言葉をご存知だろうか。

 

一般的にキタが梅田、ミナミは難波を指す言葉であるが、関西ウォーカーるるぶなど多数の情報誌で、この2つは常に対決し続けている。実はここには海より深い大阪府民の縮図が示されており、それは大阪全土を巻き込んだ不毛な戦いへとつながっていく。

 

 

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ここで考えてみよう。 

 

他県からみた大阪のイメージはどういうものだろう。

 

お笑い、アニマル柄の服をきたおばはん、通天閣やかに道楽といった典型的ななにわのシンボル、だんじり祭りや「どつきまわしたろかい!」といったどぎつい河内弁、とにかく下品でケチでうるさくてあめちゃんをくれる。そんなイメージを持ってる人も多いだろう。

 

このイメージは全部大阪南部で成り立っている

  

そう、大阪にはとてつもなく大きなヒエラルキーが存在してるのだ。それは本町を中心に北に上がれば上品で、南に下れば下品になることだ。梅田に比べて、難波はコテコテなスポットが多い。よしもとの劇場の総本山も難波だし、カーネル・サンダースが投げ込まれたのも心斎橋だし、通天閣がある新世界も全てミナミに位置している。

 

そしてそれはその先にあるそれぞれの市に影響を与える。

 

大阪の北部には北摂と呼ばれる高槻・茨木・豊中といった大阪での住みやすいランキング上位を占める人気エリアが存在する。それらの市は多数の有名スポーツ選手、芸能人を排出しており、また太陽の塔があることで有名な万博公園がある吹田市北摂に属している。さらに、神戸や京都といった関西の人気スポットに隣接していることもあり、盤石の布陣を敷いている。

 

一方大阪南部は、乱暴な河内弁を操り、日本のダウンタウンとも言われる西成区が存在し、北部の人間からは堺市から南は和歌山県扱いされている。南海本線に乗ればだんじり高野線に乗れば古墳だ。京都と神戸と比べられると、なぜかとても負けた気持ちになる。

 

東京から大阪へ行こうものなら、新幹線なら新大阪、飛行機ならおそらく多くの人が伊丹空港に着く。どちらも一番近いのは梅田であり、きっと誰もが「大阪も案外普通じゃん。もっとコテコテした町だと思ってたよ。」なんて言うに違いない。

 

違うんだ。

 

本当の大阪はそこから更にミナミに下れなければならない。「あれ?梅田にグリコの看板があるんじゃないの?」なんて寝ぼけたことを言ってる場合じゃない。あれは心斎橋だ。

 

ウキウキ気分で、西九条で降りてUSJに行ってる場合じゃない。

 

そのまま環状線を南に進んで、新今宮まで行くと良い。

 

本当のUSJ新今宮にある。

 

U(嘘みたいに)S(酒臭い)J(じじいがいる街)

 

これが新しい大阪の新定番であり、本質は全てこの街にある。

 

何度もいうが、梅田は第一セクターだ。そして難波は第二セクターである。つまりこれは東京VS大阪と同じであり、勝者が決まっている戦いなのだ。キタがより優れており、ミナミは劣っている。ミナミは観光地であり、住む場所でない。そういうヘイトさえも産まれている。

 

子供の頃から大阪南部で育った俺は、北の人間との交流はほぼなく、大阪の縮図を知ったのは社会人になってからだった。ある日突然、北摂のやつにデカイ顔された時は、なかなかショックを受けた。

 

そうして社会人になって8年目。未だにキタエリアへのコンプレックスを克服できず、なかなかこの梅田付近に引っ越せないでいる。職場も近くなるし、遊びも出会いだって幅が広がるしメリットしかないはずだが安いプライドがそれを邪魔しているのだ。

 

俺にとってキタは恨むべき対象でもあり、あこがれの街でもある。そんな街から離れることが怖かった。

 

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時計は23:30。

 

この辺りから時の流れはギアを上げて異常な速度で進み始めることを俺は知っている。決断のときがすぐそこまで迫っていたが心は決まっていた。

 

今日は帰ろう。連日の仕事の疲れもあるし、なんだか今日は街が眩しい。

 

伝票を持ち、レジに向かう。うだつの上がらない俺はきっちり割り勘で会計を済ませ、後輩二人と別れを告げた。

 

「00:10発 南海高野線区間急行 三日市町行」

 

混み合う車内に無理やり体を押し込み、定刻通りにドアが閉まり、電車は進み始めた。車内にはアルコールと一日分の体臭の匂いが立ち込める。終電で最も辛い時間だ。

 

難波を過ぎ、新今宮でまたさらなる乗客を乗せるためにドアが開く。

冷たい空気が車内に入り込みモワッとした匂いから一瞬だけ開放してくれる。

 

何やら外が騒がしい。

 

わしがなにしたっちゅうんじゃ ◎$♪×△¥○&?#!

 

何やら男性が叫んでいる。

 

俺は空手100段やぞ!お前なんかぶち◯して ◎$♪×△¥○&?#!

 

見てみると改札前でおっさんが駅員3人に取り押さえられている。

 

片手にワンカップを持った嘘みたいに酒臭そうなじじいだった。

 

なかなかショッキングな光景だが、こんなことよくあることだ。ドアが閉まり、じじいの声は聞こえなくなった。「終電なんてこんなもんだよな」と誰かが慣れたように話している。少し笑い声が聞こえた。今日も大勢の人を乗せて南海高野線は静かに南へ下る。

 

大阪の南部はガラの悪さから治安が悪いと思われがちだが、実はそうでもない。人の多さからキタの方が実は治安が悪かったりする。ただ、南部はその分パンチがある、それだけだ。

 

あこがれの街「キタ」。もしかしたら永遠にあこがれのまま終わるかもしれない。それでもいいかなと思った。

 

今の俺に必要なのはあこがれより安心だった。

 

じいさん一人が暴れただけで微動だにしない。名前も知らない人たちの強い心に励まされた。いいじゃないか、何処に住んでたって。大阪の南部も捨てたもんじゃない。俺はそう思ったんだ。

 

 

 fin

 

 

 

 

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街
by リクルート住まいカンパニー

くまのプーさんがいい。

「俺プーさんになるんだよ」

 

大阪へ向かう車の中、同乗している友達が突然言い出した。気が触れたかと思ったがどうやら職場のクリスマスパーティーでそういう催しがあるらしい。

 

「ちょっと練習しないといけないんだよなぁ…」

 

そういっておもむろにプーさんの声真似をし始めた彼を見ながら、ふと昔のことを思い出した。

 

あれは高校2年の夏休み直前の学級会だった。今日の議題は文化祭の出し物を決めることだ。少し早い気もするがうちの高校の文化祭は10月1週目の土日に開催される。夏休み前が終わって実力テストや追試だったりを考えると時間があるようで意外とない。実際に動き出すのは休み後になるケースが多いが劇やダンスなど練習や準備に時間がかかるクラスは夏休みに数回集まってちょこちょこ準備を進めてたりする。

 

それに、体育館や野外ステージの出順、模擬店の出店数など、全てに限りがある。3年生の催しが優先されるがそれ以外のクラスはかぶりが出たら実行委員による抽選で決定される。締切は夏休みの前後に設定されており、抽選に漏れたクラスは夏休み後にもう一度決め直すことになる。たこ焼きなどの人気の模擬店が被った場合は、模擬店確定で、内容変更を求められる。何にしろこの最初に締め切りで何かしらの方向性を見いださなくてはならない。

 

我がクラスはとてもじゃないが統率が取れているとはいえなかった。野球・サッカー・バスケと運動部御三家の煩型を始め、学年でもとびきりデカイ派閥の女子グループ、お笑いマニアに偏屈な文化部など動物園みたいな面々が揃っていた。そして僕はなぜかそんなクラスの学級委員を務めていた。

 

なんだ?クラス替えはあれか?くじとかで決めてんのか?もしくは飲み会でノリでいった「ぼくのかんがえたさいきょうのくらす」が採用されたんか?それくらいハチャメチャなクラスだった。

 

案の定、その会議は大荒れした。煩型たちが騒ぎ倒し、女子たちはどこか気だるそうに冷ややかな視線を送り、帰りにマクドに行くか、それともプリクラを撮るかなんてことを話している。それ以外の男女は苦笑いを浮かべ、クラスの陰の者たちは「私達は石です。」と言わんばかりに身を潜めている。

 

いじめがあるわけではないがどうしても学校というものは自然とヒエラルキーが産まれる。こういうのは上位に属している人間が、やろうぜ!と乗る気にならない限り、前に進まないものだ。

 

会が始まって10分、まだまともな意見が出ていない状態だった。それどころかクラス全体にはめんどくさいことをなすりつけ合う、そういう空気が流れていた。

 

その空気を変えたのは担任だった。

 

「みんなが決めないなら先生が決めるよ?いいの?」

 

家庭科担当の山田(仮名)先生がそういった。小柄でおかっぱ頭、頭年齢は公表しないという一昔のアイドルみたいなことを言ってる人だが、完全に座敷わらしだ。それでも、それなりに年はいっているはずなので教師経験も相当なものだろう。担当科目でもある家庭科の知識を活かして変わった模擬店の提案でもしてくれるのではないか?

 

もし、そうならばそれはそれでいいなと思った。生徒たちの自主性を促すためにもなるべく黙っておこうとしていたのだろう。普段おしゃべりな先生は、それまで一言も喋らなかったのだ。これはきっとよっぽどの案があるに違いない。全員の期待値がみるみるうちに上がっていく。

 

それに、個性の塊とはいえ皆同じ高校2年生だ。学級委員の力不足でこのクラスはまだまとまってはいないが、この日を境にクラスがまとまっていくかもしれない。当時はごくせんが流行っていたこともあり、クラスの一体感というものにおそらく全員が憧れを持っていた。

 

「や、ヤンクミぃ…」と声が出そうになった。

 

他校のヤンキーにボコられたところを助けに来たわけでもない。ただの文化祭の出し物を決めてるだけだけど。

 

クラス全員の期待に答えるように先生はいった。

 

「ステンドグラスなんてどうかしら!素敵だと思うの!」

 

 

ヤンクミ!?

 

 

どうした?え?なんだって?す、ステンドグラス??あの教会とかにあるあれですか?え?なに?みんなでガラス細工作るの???え????

 

先生曰くどうやら、黒い画用紙とカラーフィルムを使ってステンドグラス風の作品を作って展示を行うのはどうだ?ということだった。

 

たまったもんじゃない!最初にいったが今は高校2年生だ。高校2年生といえば、人生で一番おもしろいと言われてる時期だ!文化祭だって何回もできることじゃない。それがステンドグラス?展示?まさか!

 

ざわ…ざわ…クラス全体が一気に重くなる。天から伸びる蜘蛛の糸は一瞬に切れてしまった。そして、全員が思った。「これは、どうにかしないといけない…」クラスが一つになった瞬間である。

 

そして、その重圧は学級委員にのしかかる。お前がなんとかしろ。違うんだ。こういう団結は求めてないんだよ。もうだめだ。なんとかこのまま会を引き伸ばしてうやむやにするか、すっぱり諦めて夏休み後の締切に委ねてしまうか…そんなことを考えていた。

 

そしてその時であった。僕の友達が立ち上がったのだ。軽音楽部でもある彼は、文化祭は忙しいはずだ。なのに、彼は劇をやりたいから脚本を書いてくるというのであった。ステンドグラスか劇か。どちらにせよ、準備は大変だ。しかし、このクラスは可能性に満ちている。もしかしたら、面白いことになるかもしれない。だったら、その可能性にかけてみるのはいいんじゃないか?そう思った僕は、強引にその案ですすめることにした。

 

結局内容を見てみないと決められないという最もな意見が出たので、土日明けの月曜日に台本を書き上げてくるからそれから判断するとなった。

 

週明け、二度目の会が始まった。

 

彼が書いてきた桃太郎の学園版であらすじはこうだ。

 

主人公である吉備桃子は鬼瓦高校に通う2年生だった。その学校には鬼と呼ばれる体育教師がいて、事あるごとに体罰を繰り返す極悪教師だった。その傍若無人な様に生徒たちは嫌気がさしており、何やら黒い噂もありどうやら学年の積立金を使い込んでいるらしい…体罰はあくまでも教育の一環あることを主張し、どうもしっぽがつかめない化け狸。その鬼の不正を暴くために、友人の武田犬太(たけだけんた)と猿川久美子(さるかわくみこ)と共に新聞部に入部し、記事(きじ)を武器に戦う。

 

事前にこれを見ていた俺はいける!と確信していた。

内容も結構おもしろいし、実際嫌な体育教師が学校に居た。こいつをモチーフにしてることは丸わかりで先生いじりは定石だ。学校という舞台であれば衣装を作る手間も省ける。どう考えてもいける…

 

しかし、その自身は全くの期待はずれに終わった。

 

クラスのみんなはこの内容では納得しなかった。いや、むしろ劇をするという行為自体に嫌気がさしてるようにみえた。この土日で劇の練習を行うこととステンドグラスを作ることを天秤にかけたのだろう。何よりステンドグラスであれば、当日はどフリーだ。2日間まるまる遊んで過ごせる。

 

そして、結局その煩わしさが勝ったのだ。

 

我がクラスの出し物は「ステンドグラス」に決まった。

 

こうなればもう後の祭りだ。後は、なにをモチーフにしてステンドグラスを何を作るか。ということが議題となった。確実にクラスの指揮は下がっているが知ったこっちゃない。

 

全く意見が出ないまま、気まずい空気が流れる。今この場で心躍ってるのはうちのヤンクミだけだ。「みんなの学校での日常を写真に収めてそれで作るのはどう?」とか言ってる。ウキウキだ。もうどうにでもしてくれ!そんな気持ちだった。

 

そして、今まで全く意見を発しなかった女子グループの一人が叫んだ。

 

「プーさんがいい!」

 

 

「プーさんがいいよー!」ワキャキャ

 

なぜかめちゃくちゃ盛り上がってる。なんでそんなに盛り上がってるんだ?くまのプーさんで盛り上がるくらいお前ら青春謳歌してるんか?ステンドグラスだぞ!?プーさんのハニーハントじゃないんだぞ!?わかってんのか!?

 

その盛り上がりも虚しく、なぜかまたしてもヤンクミの意見が採用され「みんなの学校での日常」でステンドグラスを作ることになった。

 

なんで?

 

会が終わり「えー、プーさんがよかった。」と口々に彼女たちは帰っていった。

 

 

 

この話には続きがあるがまたそれは別の機会にするが、それ以来くまのプーさんを見たり聞いたりするたびにこの話を思い出してしまうのだ。

 

声真似の練習も気付けば終わっており、僕らは適当なSAに入り休憩することにした。

 

「プーさんがいい!」

 

おみやげコーナーで少女がパパにおねだりをしている。どうやら、プーさんの人形が売ってあってそれがほしいらしい。パパは冴えない中年男性で、絵本を片手に「家にあるからこっちにしなさい!」と声を荒げている。

 

「プーさんがいい!」

 

「こっちにしなさい!」

 

二人の応酬は続き、結局わがまま言う子には何も買いません!と最終奥義を披露し、絵本を買ってもらうことになったらしい。正直、もっとご当地らしいもん買えよと突っ込みたかったが勝手知ったるなんとやらともいかないので黙って見守ることにした。

 

納得いかない表情を浮かべながら少女とお父さんは俺を横切って駐車場へ消えていった。買ってもらったのは、どうやらシンデレラの絵本だったようだ。あぁ、俺たちもシンデレラにしたらよかったのかなぁと、戻らない過去の出来事に思いを馳せた。

 

青春は一瞬だ。魔法のような時を過ごしていたはずなのに、その時はなぜか気付けない。投げたボールは放物線を描いて地面に落下し、勢いそのままに遠くまで転がってくしかないのだ。そして、残った後悔の念は蜘蛛の糸のようにまとわりつく。それを背負って生きていくもんだ。

 

どちらにせよ魔法がとけたおじさんには関係ない話だ。お土産用にご当地のはちみつを購入し、外で眠気覚ましのコーヒーを飲むことにした。

 

空はどんよりとした雲が立ち込めている。まるで俺の人生のようだ。

 

あぁ、青春なんてこりごりだ。きびだんごも、カボチャの馬車もガラスの靴もいらない。叶うなら仕事をせずに遊んで暮らしたい。

 

「あー、俺もプーさんが良い」

 

fin

 

バレットとザンギエフ

夜風が冷える季節になった。しみじみと思わせるのは、今年の夏が長かったせいだ。いや、むしろもう毎年のように夏が長い。全然終わらない。大阪の夏はとにかくじめじめして暑い。茹だるような暑さは9月を通り越して10月前半まで続いた。

 

 やっと秋か。と思えば、もう午前中の気温は一桁台になる時もあり、すでに冬の鱗片が見えてきてたりする。これは10月半ば、ぎりぎり秋だった時の話である。

 

図書館を出て、駅に向かって歩いていく。一週間前までは半袖を着ていたが今はおろしたての長袖のシャツと洒落込んでいる。最高温度が20度だと、長袖に一枚羽織るくらいがよくて、最低気温が20度だと長袖のシャツくらいが丁度いいらしい。

 

今日は最高温度が20度だから、ホントはもう一枚来たほうが良いらしいがなんせ図書館から駅までがそこそこ距離がある。最初はちょっと肌寒さを感じるが歩いているうちにどんどん暑くなって汗をかいてしまい、駅につく頃はもう一枚脱いでしまいたいくらいだ。

 

といっても半袖じゃあ少し心もとない。というか、多分風邪を引くくらいの季節の変わり目のちょうど真ん中に立たさせている気分だ。

 

歩いているとふと視線の先に一人の男が入ってきた。それはとてつもなくでかい男だった。

 

ザンギエフなのか?

 

 

一瞬そう思った。ストリートファイターシリーズにでてくるあのプロレスラーだ。それくらいデカかったが、赤パンじゃないし、ちゃんと服は着てるし、パイルドライバーを噛ましてきそうな感じもしない。そして次に、もしかして

 

 

バレットなのか?

 

 

そう思った。ファイナルファンタジー7に出てくるクラウドの仲間だ。でも右腕にギミックアームはついてないし、アバランチのリーダーにはとてもじゃないけど見えない。

 

男は、坊主頭で、でも耳から顎までひげが伸びており、黒のノースリーブに、銀のネックレス、とにかく体がでかいんだが、どことなく瞳はピュア。そういう風貌だった。でもどう考えても日本人だわ。顔がそれなりに薄いもん。

 

 

彼はその場でじっとただ立っている。その大きな体を道の隅に寄せて何かが来るのを待っているように見えた。それは久方ぶりの恋人との再会を待ち望んでいる表情にも見えたし、久しぶりに友達が地元に帰ってくるような表情にも見えた。とにかく、なにか久しぶりなものを待っているそんなオーラが出ていた。

 

そうすると一人の女性が彼のもとに駆け寄っていく。そのまま彼に飛びついた。感動の再会だ。抱きしめあった二人は、見つめ合いそして手と手を取り合って歩いていく。

 

おそらく久しぶりに恋人に会えたのだろう。じゃないとこんな大阪の下町でこんなに情熱的なハグは見れないよ。もうあれだ、あれ、パリだわ。ここは。淀川がセーヌ川に見えてきた。

 

進行方向が一緒だったので、二人と一定の距離を保ちながら歩いていく。仲良さそうに歩く二人は本当に楽しそうで、見てるこっちが熱くなる。「ふぅー熱いねーお二人さん!今からどこ行こうってんだい?若い男女がいくとこったー相場が決まってラアなぁ!」と冷やかしてしまいたくなるようなそんな熱さだ。

 

信号に引っかかってしまい、二人の足が止まる。僕もすぐに追い付いてしまい近くに足で止める。この二人いったい何喋ってんだろう。ちょっと気になったのでイヤホンを外してみる。女性の声が聞こえる。

 

 

 

今日の朝、うんこ流していってなかったよね?大変だったんだよー!」

 

 

耳が腐ってしまったのかな?聞き間違いじゃないければ、とんでもないことを聞いてしまった。

 

しかし、どう考えても「今日」「朝」「うんこ」「流してない」「大変」そのような単語が結構なボリュームで耳に入ってきた。まずこの二人全然久しぶりの再会じゃない!デフォルトでめちゃくちゃイチャイチャするタイプの人達だった。

 

まじか~~~~~~。やっぱ淀川だわ~~。パリ感ゼロ。うんこって。年頃の娘が彼氏の前でうんこて!なんだ~~いいじゃねぇか~~。うんこ!うんこって言って!お願い!!ああああああああああ

 

 

「もうパパってばしっかりしてよね!」

 

 

パパ~~???

 

パパだった~~~~~!なに~~~どういうこと???ママが外国人なの~~~???ひゃ~~~!やっぱセーヌ川だわ!インターナショナル!wow!

 

 

二人は信号を渡って僕とは反対方向に歩いていった。彼らともお別れだ。

 

なんだよ。ザンギエフ、、、結構なおっさんだったんだな。めちゃくちゃ若く見えたよ。健康の秘訣は薄着ですか?そんなことを見ず知らずのやつから言われたらマジギレされそう。それでこそパイルドライバーをかまされるかもしれない。

 

僕の予想を遥か上を行った彼らは今からきっと家族が待つ家に帰るんだろう。その暖かさがあればノースリーブでも過ごせるのかもしれない。あぁ愛とはなんて豊かなんだろう。そう思う秋の夜なのであった。

 

 

 

 

 

fin

 

 

 

 

aurora arkがくれたもの

こんばんわ。はるぎくこです。

たまには真面目に日記を書こうかと思います。といっても過去ですが。

 

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TwitterのトレンドにBUMP OF CHICKENが入った。それは同時に当日に行われていたリリースツアー「aurora ark」が終わったことを表していた。

 

7/10にNEWアルバム「aurora arc」が発売。7/12西武ドームを皮切りに、途中で全国5都市10公演を追加発表、そして11/3・4に行われた東京ドーム公演2DAYSは両日で10万人を動員し、「aurora ark」は終了した。

 

ここでは、BUMP OF CHICKENとの思い出と9/12に行われた京セラドームでの公演を振り返ってみようと思う。その日の動員が3万5000人?くらいなので35000分の1の話。

 

中学2年生の時、兄がTSUTAYAで借りてきたCDの中に「Jupiter」があった。それが最初の出会いだった。それから16年ほどたって「Pathfinder」ツアーで初めてBUMP OF CHICKENのライブに行った。

 

今でこそ、BUMP OF CHICKENの公式Twitterやチャマのアカウントをフォローしてるおかげでリリースやツアー、タイアップなどの情報が入ってくるが、過去ログを漁っているわけではないので現在進行系の彼らしか知らない。

 

今までは藤原基央の言葉を借りれば「また5分くらい俺たちの曲に耳貸して下さい」だけの関係だった。新曲がリリースされるたびに、ラジオだったり、TVのCMだったり、CDショップの特設ポップだったり、それこそ入った喫茶店の有線で流れていたり。

 

なので、必然的に過去のライブがどうだったとか、昔はこうだったみたいなことを人伝いに聴いたことがあるだけで実は全然知らない。だってテレビに出ないんだもん。インターネットがない時代なんて、テレビに出ないだけで、露出0に感じるくらいだった。

 

ライブはもちろん雑誌とかラジオはやってたと思うけど、今みたいに簡単に情報が手に入らない時代なので、テレビの影響力はすごかった。オリコンチャート上位にBUMPが入るたびに、中学生だった僕の簡単な脳みそは「すげぇ!!!かっこいい!!!!」と軽く興奮してた。そのせいで、BUMP OF CHICKENはめちゃくちゃ尖ってるイメージを持ってずっと生きていた。大学生になってなんとなくBUMP OF CHICKENから離れていって去年ライブを初めてみた。シンプルに感動した。初めてあったあの日から16年後に、そのイメージが180度変わることなんて全く想像していなかった。そして今に至る。

 

 

 

日はさかのぼって9/12。京セラドームの2日目。その時、僕のコンディションは最悪だった。仕事、上司、職場の環境への不満やストレスが積み重なりある日突然、心と精神は崩れてしまった。長期休暇を余儀なくされて1ヶ月位たって頃だろう。薬によってそこそこ改善はしていたものの、人混みに行くのも嫌だったし、知り合いに会うのもしんどかった。なにより、こんな状態で楽しめるのか?と不安だった。

 

結局その不安は全くの杞憂で終わることになるをその時の僕はまだ知らない。

 

憂鬱な気持ちを背負って、京セラドームから歩いていける距離にある小さな公園で読書をしながら、開演と一緒に行く友人を待っていた。前日はすごい雨だったが今日は快晴だ。公園では、大学生のグループがドッチビーで遊んでいた。楽しそうにはしゃぐ彼らは自分とは違う世界の人間にすら思えた。それを遠目に、ゆっくりと過ぎていく時間の中でとんでない焦燥感と戦っていた。本の内容は頭に入ってこず、ベンチに座っていろんな事を考えていた。今までのことや、これからの不安、本当に絶望の後に希望なんてくるのか?

 

待ち合わせの時間が近づいてきた。公園を離れて京セラドームに向かう。道中、連絡が来て友人は遅れてくるらしい。また、公園に戻ろうとした時、今度は会社の友達から連絡が来る。この人は僕がBUMPに改めてハマるきっかけを作った人で、よくライブや新曲の感想を言い合っていた数少ないBUMP友達だ。この日のライブも参戦することも知っていた。

 

会社を休んでからずっと心の中にあるのは「申し訳ない気持ち」だった。この気持ちは生きる活力を奪っていく。寝ても覚めても何をしててもついてくる。心が救われる時間は、夢の中くらいだった。

 

なので、こうして今この場にいることすら罪に感じてる僕にとっては、心配して連絡をくれたありがたさよりも、サボって遊んでるところを見つかってしまった。そんな気まずさを覚えた。

 

近くにいることが判明したので、割と悩んだけど謝罪の念も兼ねて会うことにした。お互いの現状報告から始まり、会社のこと、ライブのこと、グッズ何買ったとかそんなことを喋った。わりと上手く話せたような気がしたので、ちょっとだけ気が晴れた。人との関わりを避けていた僕にとっては、ありがたい話だった。

 

その後、お互いの健闘を称え合ってお別れし、ライブ開始まで京セラドームの周りを散歩して過ごした。

 


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会場に入って、座席につく。開演5分前、友達も来た。雑談も少しに、照明が落ちる。「aurora arc」が流れ、前方のビッグスクリーンに円陣を組む彼らがLIVE映像で映し出される。

 

BUMP OF CHICKENのLIVEが始まる。いや、とうとう始まってしまった。この日を楽しみにしてたはずの僕は今ここにはいなかった。全然楽しみじゃなかった。憂鬱だ。どこか晴れない気持ちを背負って、さっきまでここに立っていた。

 

だが、今はどうだろう。一人ひとりが登場するたびに、ステージを、スクリーンを見る目が変わっていく。自分の中で久しぶりの感情が芽生えてくる。なんだろうこれ。懐かしい。あ、これ知ってる。楽しいだ!さっきまでの憂鬱が徐々に消えて、楽しくなっていた。LIVEが始まったんだ。

 

4人が出揃い、1曲目「aurora」の演奏が始まる。手首にはめたピクシモブが光る。その一つ一つが会場に色とりどりの光をもたらし彼らを、そして僕らをLIVEの中へ誘っていく。熱のこもった歓声が上がり、会場の空気が変わっていく。光り輝くレーザービームは、会場と心の中を虹色に照らしてくる。

 

「虹を待つ人」から「天体観測」と歌える曲が続く。僕が見たLIVEでは「天体観測」は序盤に絶対やる。後半にやりそうなのに絶対前半にやる。チャマは「今日初めてBUMP OF CHICKENのLIVE見る人!」と僕たちに問いかける。それなりの人数が返事をする。そんな彼らの中には、付き添いでたまたま来て全然BUMPなんか知らない人もいるだろう。そういう人でも絶対知ってるのでは?そういう人でも楽しめるようにこの曲を前半に持ってきてるのでは?といつも思う。なんていうか、優しい

 

チャマが5弦ベースに持ち替えて「シリウス」が始まった。途中炎が上がる演出があって過激だ!!!!と思った。「車輪の唄」で高校生の時に記憶が蘇ってくる。軽音楽部の同級生がこの曲が弾きたい為にマンドリンを購入して教室の隅で弾いていた。徐々にうまくなっていくそれはいつの日か完璧に弾けるようになっていた。それは風の強い日で、教室のカーテンが大きく揺れていた気がする。ひでちゃんの軽快なビートと共に駆け抜けて青春。

 

「Butterfly」では、心が踊っていく。LIVE映えする曲だ。イントロで七色の光線が会場を照らす。飛び跳ねるように踊りたいけど、ドームでは踊れないから横ノリで楽しむ。ステージ上では、その分チャマが、ヒロが、そしてフジくんがぴょんぴょんはねている。そしてなんだか泣きそうになる。今まで行ったLIVEの記憶が浮かんで、そういえばいつも後半にやるから終わってほしくないという気持ちが出てきてるのかもな。

 

「記念撮影」「話がしたいよ」としっとりとした曲が続く。星や空、宇宙や天気、そして現実とファンタジーの間にあるような曖昧な世界で作られたような歌、そういう曲が結構ある中で、「話がしたいよ」はかなりリアルな歌だ。

 

きっと会場にいる殆どの藤原基央フリークは、通勤、通学のバスを待っている間、何度もこの曲を聴いただろう。そして、どれだけ大切な人を思い出して、この曲と重ねたんだろう。「君の好きな匂い忘れたくないよ」なんて言われた日には頭がおかしくなりそうです。実際この時は感涙状態で頭おかしくなってました。はぁぁぁぁぁぁ。

 

もうあと半分だ。そんな話になって、スタンド近くに設置された出島に移動。

「真っ赤な空を見ただろうか」「リボン」を演奏。前日はここで「ダイヤモンド」をやったんですよ、と友人に言われて興奮した。普段より近い位置で演奏。そしてドッチビーを観客席に投げる。あと、ひでちゃんが喋った。LIVEではほとんど喋らないのに喋った。

 

アリーナの観客たちとタッチしながら移動する。黄色い声援が飛ぶ。数年前に見た嵐のLIVEを思い出した。そういえばその時も京セラドームだった。あれ?これジャニーズですか?一瞬錯覚するが違う。ロックバンドだ。チキンジョージとかでライブしてたBUMP OF CHICKENだ。

 

ステージにまた戻っていく。遠回りして車椅子で来てくれた観客とも握手を交わす藤原基央をみて温かい気持ちになる。

 

そしてここでまた「aurora arc」が流れる、後半戦スタートの合図だ。

 

「望遠のテーマ」希望があるから絶望があって、だから絶望でもその先には希望がある。良いこともあれば、悪いこともあって、そういうことがある世界を僕たちは進んでいく。今の僕が絶望ならば、きっと希望があるんだろう。そういうことを歌った曲だ。

 

これだけ心を見透かされたような気持ちになっているのに、藤原基央は絶対自分のために曲を作っていない。あまりにも当たり前の現実が頭をよぎる。他人が作った曲に自分を重ねることが僕たちリスナーの仕事だったとしたらあまりにも近すぎて遠く感じる。そんな気持ちにもなる。

そんな中、藤原基央が叫ぶ。「ぼーっと聴いてんじゃねぇよ!お前のために歌ってんだよ!」そんなことを叫ぶ。なんだ?メンタリストか?心はまた踊る。

 

そして「GO」だ。サーカスが来たってはしゃいでる。チケットを持った僕たちは音のサーカスを見に今日集まった。Pathfinderではいつも最初にやっていた曲だ。後半戦が始まって2曲目、不安で頭がいっぱいだった自分は今もうこの場にいない。

 

「spica」。ピクシモブの光が後ろから前に向かって光っては消えていく。蛍のように繊細でその小さな光はまるで吸い込まれていくかのようにスクリーンに向かっていく。画面上に登っていったその光は「いってきます」とつぶやいて消えていく。

 

「ray」が始まった。会場は今日一番か?と思うほどに揺れる。ヒロのギターソロが終わり、Cメロへ。会場の半分が以上がきっと空を見上げる準備をする。「○×△」がドーム上空に照らされる。これを探すのももはや定番と言っても良い。手を叩くタイミングもバッチリだ。あぁ、生きることは最高だな!なんてことを考えている。

 

そのままの勢いで「新世界」へ突入。あ、さっきのは嘘。きっとこれが今日一番だ!そう革新する。ロッテとコラボしたMVがスクリーンに映し出される。あぁ、目が足りない。どう考えても目が足りない。もう不安とかない。頭の中が、希望で満ちている。ベイビー・アイラブユーだぜ!なんだろう。これほど真っ直ぐなラブソングは今までなかったし、近年のBUMPは、全体的に星空のようにキラキラしたサウンド多い中で、これはまた新しい顔を見せてくれた。そういう感想です。もう一回やってほしい!そういう願望に会場の3万5000人の脳みそが揺れた支配された瞬間では?と思った。


興奮が冷めないままラスト2曲の演奏が始まる。「supernova」「流れ星の正体」。ここまで過ごしてきた中で、自分の中の悩みとか考え、いうなれば存在さえも広い世界から見たら取るに足らないほど実はすごいちっぽけなもので、それでも自分にとってはそれが世界であるわけで。全員が笑っていられるような世界はどうあがいても無理、どこにもない。だから前に進んでいくしかないわけで。そういう人にも届いてほしい。逃げ込んだ毛布の内側にまで届いてほしい。

 

ライブ本編の締めは、今日元気じゃなかった人を励ましてくれたようなそういう曲順だった。

 

手を振って頭を下げてステージから去っていく4人。会場はアンコールを願う大合唱が、彼らの再登場をまだかまだかと続いていく。

 

そして再登場。チャマがiPhoneでインスタ用の映像を取ったり、恒例の物販紹介だったり、楽しい時間が続く。

 

今日一日、フロント3人はステージ中央に伸びた花道を何度も出ては曲が戻るたびにダッシュで帰ってきた。部活のシャトルランみたいだねとはしゃぐ姿は、まるで高校生で、彼ら4人が幼馴染であることを思い出させてくれる。仲いいな~

 

 

アンコールは「バイバイサンキュー」「ガラスのブルース」の2曲だった。

「バイバイサンキュー」は天体観測のカップリング曲で、MDで擦り切れるほど聴いた。今でも歌詞ちゃんと覚えてるよ。なんと11年ぶりにやるって。16年前の自分にも教えてあげたい。お前ライブでその曲見るよって。

 

ガラスのブルースの大合唱を経てライブは終了。何度も頭を下げて手を降ってみんな帰っていく。フジくんが喋る。すっごい喋る。今日楽しみにしてた人、明日からまた仕事で不安になってる人、今調子が悪くて元気がない人…いっつも一人ひとりに問いかけてくれる。なんだよ。こんなだめな俺にまで気を使ってくれるんかよ。憂鬱が吹き飛んだよ。ありがとう。

 

今日という日が終わってそれぞれの日常に帰っていく。次に会える時はいつかわからない。それでも藤原基央がいう「明日からまたお互いに日常を生きて、俺たちもまた音楽頑張るからどこかでまた5分ちょっと俺たちに時間ください」そんな日が信じてまた生きてあげても良いかなって。

 

その言葉は温かくて、一言一言が宝物のように思える。言い方悪いかもしれないけどBUMP OF CHICKENってやっぱオタクなんですよ。ちょっと根暗で教室の隅でコソコソやってるような人たちが、そのまま世の中に出てきたんですよ。だから、本質的には目立つのも嫌いなんじゃないかなって。贅沢したいとかモテたいとかそういうことじゃなくて、きっと自分たち4人がいればそれだけで楽しいし、自分たちに期待してくる人がいる、そういう人たちに良いものを届けたいって気持ちでやってるのかもしれない。いやわかんないけど。でもなんかそんな気がする。だからなんか存在を近く感じるのかもしれない。

 

 とにかくその日で僕の憂鬱は恐ろしいくらいに改善された。頭の中を支配してたもやもやが吹き飛んだ。重い体を引きずってでも行ってよかった。心からそう思う。明日からまた生きていこうという活力にもなった。飯もうまい。夢の中しか楽しくなかった僕は、今日ここで夢みたいな時間を過ごすことができた。また仕事頑張ってライブ行きたいな!そういう気持ちになれた一日でした。

 

 

 

ということでなんでか今更記憶を引っ張り出して文字にしてみると何言ってんだ。って感じなんですが、良かったことも悪かったことも全部含めて自分なんだと認めることから始めていこうかと思います。

 

次のツアーはいつになるだろう。その時はきっと今より元気で楽しくやってるはずだと信じて明日からまた生きていきます。

 

皆さんにさちあれ!

 

fin

 

あなたの街は美しいですか?

バグって三角コーンの位置がずれている。エラーを報告しなければ。

 

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こんばんわ、はるぎくこです。

 

散歩とかしてると「あーこの風景見たことあるわー」ってよくあると思うんですが、なんと今回はそれを写真入収めることに成功しました。あなたも絶対に見たことがある風景です。

 

それはどういう風景でしょう。

 

町並みとは同じように見えて違っている。これが鉄則ですよね。それは建造物だったり、景観を彩る街路樹だったり、場合によっては人や天気、こういったものが複雑に絡み合ってそれを我々はその目で確認し、記憶します。

 

なので、似てるなという感想は持っても違うものはやっぱり違う。ただ、今まで見た風景を脳内で組み合わせて、見たことのない町並みを見せてしまうのも人間です。こういうのことがいわゆるデジャブにつながったりするそうです。

 

つまり、これからお見せする写真は、あなたの脳みそが今まで見てきたものの中から各種情報を組み合わせて、「あ、見たことあるかも」と錯覚させるということです。

 

わかりますか?

 

あなたはすでにもう作にハマっています。ちなみに今からお見せする風景は、今あなたが想像してるような青い空は映っていません。その一番遠い場所を見ています。視点は下です。つまり地面です。

 

「え?ってことはなんか適当に土の写真とか取ってるってこと?そんなのずるくない?」

 

今そう思いましたよね?けして、地面のドアップではありません。だがしかし、こういうの見たことある!となることは確実です。あなたが歩いていてふと視線を下に向けた時、必ず見たことがあるでしょう。

 

わかりますか?これはメンタリズムとは全く何も関係ありません。あなたの住んでる町に、かならずあるでしょう。我々はこういう風景を、こういう現実は認識してるようで現実として受け止めていないのです。

 

そろそろいいでしょう。

お見せします。

 

それはこれです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あなたの町にも絶対あるのでぜひ探してみてください。

 

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